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<プロ野球・円熟の最年長世代> 木田優夫 「150kmはあきらめない」
text by
永谷脩Osamu Nagatani
posted2011/04/18 06:00
'05年、古田敦也率いるヤクルトに入団した経緯。
'05年にマリナーズを離れる時は、「マイナーに残るか、FAになるか」という選択肢があって、僕がFAを選んだという形だったので、ドライな感じはしなかった。その時に、ヤクルトの監督になったばかりの古田(敦也)さんから誘いがあったんです。僕らの世代でいちばんのキャッチャーだし、そういう人がどんな野球をやるのか、興味が湧きましたね。以前は敵のチームのキャッチャーだった人に、「木田が欲しい」と言ってもらえたことも嬉しかった。野球以外の部分、日本球界全体でも、古田さんがどういうことをやっていくのか見てみたいという思いもあって、ヤクルトでやるのも楽しそうだなと入団を決めました。
ヤクルトではほとんどリリーフでしたけど、先発に対するこだわりも特になかった。どこのポジションであろうと、とにかくゲームで投げることがいちばん大事だと思うんです。僕はずっとそういう野球の仕方をしてきたし、これは今も変わっていません。
「ライバルは誰?」と聞かれれば常に「ダルビッシュ」。
ヤクルトの最後の年の後半、思ったようなボールが全然投げられなくなりました。もう40歳になるのに、技術的な勘違いをしていて。腕を振りにいった時の体の使い方で、こうすればもっと速い球を投げられるはずだと考えて、その練習をやったら、逆にフォームを崩してしまった。
ただ、体力に問題があるわけじゃないから、もう一回、技術的なものを修正すれば、まだまだ一軍で投げられる自信はありました。だからヤクルトを自由契約になった時も、辞めようという考えは全く浮かばなかったですね。育成でもいいからどこかに契約してもらおうという考えだけ。もう一回しっかり自分の技術を戻して、それでも木田はダメだって言われたらしょうがないけど、僕自身はそうじゃないと信じていました。
今年も「目標は何ですか」「ライバルは誰ですか」って聞かれるんですけど、常に「ダルビッシュ」って答えますよ。最大の目標はチームが日本一になって、それに貢献することですから、昔なら真っ直ぐで空振り三振を狙う場面でも、シュートを投げて打ち取るピッチングを選択するということはもちろんある。だけど、いろんな夢をもって野球やってるから、楽しいじゃないですか。