プロ野球亭日乗BACK NUMBER
闘将・星野が継承した“情”の采配。
「御大」の言葉は奇跡を起こすか?
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byShigeki Yamamoto
posted2011/04/16 08:00
今季8年ぶりの現場復帰を果たした楽天・星野監督。昨年日本一のロッテとの開幕戦で手にした白星は、実に2741日ぶりの勝利だった
監督がチームを動かすやり方には、おおまかに分けて2つのタイプがある。
ひとつは理によってチームを動かすタイプで、こちらの典型的な例にはヤクルト、楽天などで指揮を執った野村克也元監督がいる。
一方、情によって選手を動かすタイプの典型には、巨人の藤田元司元監督がいる。
野村タイプは、いわゆる「弱者の論理」で選手をコマとして使い、限られた戦力を何とかやりくりしてチームを動かすことに長けている。しかし、このタイプの監督が指揮するチームは、その理が浸透しないとガタガタになる危険性をはらんでいる。
一方の藤田タイプはある程度、戦力が整ったチームでなければうまく機能しないかもしれないが、ここぞという局面、場面で選手たちが能力をフルに発揮して、とてつもない働きを見せたりもする。
もちろんどの監督も、多かれ少なかれ、この2つの力を合わせ持ち、どちらかが多少、色濃く表に出ているというぐらいの区分と考えてもらっていいだろう。
苛烈な精神野球で名選手を育てた明大野球部“御大”島岡元監督。
ところがほぼ後者一色という監督がアマチュア球界にはいた。
1950年代から80年代にかけて明治大学野球部の「御大」として君臨した島岡吉郎元監督だ。
座右の銘は“人間力”――。
ピンチを招いた投手にも、チャンスで打席に立った打者にも、命じる指令は「何とかせい!」のひとことだけ。そして早朝4時過ぎから練習が始まり、試合にみじめな負け方をすれば「オマエなんか死んでしまえ!」とののしられる。
今では考えられないような精神野球だが、この監督のもとからは多くの名選手がプロの世界にも送りこまれ、それぞれがどこかに島岡イズムを秘めてグラウンドに立っている。
「明治大学島岡学科卒業」の星野監督が受け継ぐ“情”の野球。
「オレは明治大学島岡学科卒業や」
こう宣言しているのは楽天の星野仙一監督だった。
この星野監督は日本ハム、ヤクルトで指揮を執った高田繁元監督とともに、島岡門下生の秘蔵っ子と言われている。ほとんどの部員が御大の鉄拳制裁の餌食となっている中で、この二人だけは一度も殴られたことがないという伝説の持ち主なのだ。
ただ、星野監督は早大戦でナメた態度で試合に臨み1対8の大敗を喫した夜、大雨の中で数時間、パンツ一丁でグラウンドの神様に監督と一緒に土下座をさせられた経験がある。
「最初はあほらしいと思ったけど、隣で頭をこすりつけて、顔中を泥だらけにしている御大の姿を見て、この人は本気できょうのオレの態度を神様に許しを請うている……と思った」
本人は述懐している。
そうして島岡イズムで育った星野監督も、鉄拳あり、激情あり、そして人情ありの選手操縦術で、監督のタイプとしては後者の色が濃いということになる。