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震災で麻痺した東京の都市機能。
自転車通勤を始める人に5つの提言。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2011/03/19 08:03

震災で麻痺した東京の都市機能。自転車通勤を始める人に5つの提言。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

 あまりの自然の猛威に言うべき言葉もない。

 陸にのぼった漁船、ミニカーのように打ち寄せられた乗用車の数々、更地のようになってしまった山に挟まれた海沿いの町々。岩手、宮城、福島など、各県各都市の被災者の方々には、本当に心よりお見舞い申し上げるしかない。

 16年前の阪神淡路大震災(私は約4カ月現地で取材していた)も、恐るべきものだったが、今回はそれをも上回る、違う種類の恐ろしさだった。

 直下型・プレート型。都市型・地方型などの差もさることながら、マグニチュードで言っても、7.3(阪神淡路)と9.0(今回)の違いがある。これは地震エネルギーにして1000倍以上もの差になるという。また被害範囲のこの絶望的な広さ……。

 ただ、テレビ報道を目にして、誰もがいちばん息をのんだ差は、何といっても津波の有無だったのではないか。陸前高田、南相馬、そして南三陸などの惨状を見ると、津波というものの恐ろしさをあらためて考えざるを得ない。

 おそらく世界的にいっても、大津波というものに都市や農村が飲み込まれる映像が、リアルタイムでここまで鮮明に中継されたのは初めてのことではあるまいか。

 黒い濁流が、次々に住宅、クルマ、田畑を飲み込んでいく様子は、もう人間の手を離れた、何か別のもの、何者かの意志(それを悪魔とか神という人もいるのだろう)の存在を考えてしまうほどだった。

発生直後、赤坂のインテリジェントビルでも、激震だった。

 地震の発生時刻が14時46分。

 東京の震度が5強。もちろん東北の大被害に較べれば、もう何とも甘い話、東京の様子なんてちっぽけだとは思う。

 確かにそうではあるのだが、このコラムはあくまでも「TOKYOルート24」であり、テーマは自転車だ。こういうのは本気で忸怩たるものがあるが、東京の自転車について書く。人にはそれぞれの専門性というものもあるのだ。私などが(たとえば)原発について語っても迷惑なだけだろう。

 地震当時、私は赤坂のテレビ局にいた。揺れは激しく、東京でも何かにつかまらないと立っていられない状態だった。ビル中がゆさゆさと揺さぶられ、右に左に前に後ろに揺れるたび、あちこちから軋むような異音がした。

 揺れが収まるまで、3分? いや、もっとあったろうか、しばらくは「これで終わりか? 本当か?」と誰も動き出せなかった。

 エレベーターは瞬時に停まり、ビルの中の人々は階段を歩き、あるいは、走った。

 テレビは即座に特番に切り替わり、仙台や盛岡、福島などの系列局から次第に途方もない映像が集まってくる。

 悪夢のような数時間が過ぎていった。

【次ページ】 地震情報に見入る人々。

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