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震災で麻痺した東京の都市機能。
自転車通勤を始める人に5つの提言。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2011/03/19 08:03

震災で麻痺した東京の都市機能。自転車通勤を始める人に5つの提言。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

迎えのクルマを呼ぶという“袋小路”。

 浜松町、そして、田町の駅前に着いた。

 いずれの駅でも驚いたのは、駅から溢れた人々、そして、公衆電話前の長大な列だった。いずれも途方に暮れている。

 駅員さんに聞くと、JRは大方の予想に反して、今日中の復旧は無理だとの結論を出していた。

 たどり着いた人々は、ここで絶望的な顔をし、いくつかの選択を迫られることになる。

 ある人は会社に戻った。

 また、ある人は飲まなけりゃやってられないよ、とばかり(なのか?)居酒屋に入っていく(それにしても、こういう人々はその後、どうしたのだろう、飲んでべろべろになったりしても、深夜、いつものようにタクシーは来ないし、翌朝になっても電車が動くとは限らない)。

 さらに、別の人は、偶然、会社の近くに住む親戚のもとを訪れたりした(これは私の妹の例)。

 そして、公衆電話に並んだ人々だ。

 多くは、自宅に応援を頼んだ人々である。要するに「クルマで迎えに来て」という話。もちろん自然な感情だし、彼らに悪気があるわけじゃない。しかし、後になって分かってくるが、これが交通麻痺を助長することになる。

 私の神戸の経験で言えるのは、被災した地域では、極力自家用車を使うべきではないということだった。あのとき、国道2号線は、大阪方面から、または明石方面からの車両の流入が相次ぎ、渋滞は慢性化し、結果として、さまざまな物資や人の流通が阻害された。

 それと、似たことが、今、目の前で起きていた。

 東京は決して「被災地」といえるほどの被害があったわけじゃないが、公共交通網がことごとく分断され、結果として、帰宅難民が溢れた。

 スムーズな交通は、この街でも必須だったのである。

 電話がようやく通じるようになった順に、人々は自宅の家族に「クルマで迎えに来てよ」と頼んだ。

 もともと電車に乗っていた人々が道に溢れ、帰宅にタクシーなどを求めた。それだけでも重篤な渋滞が必須なのに、その上りと下りに自家用車が参入してきたのだ。こうなると道が動くはずがないのである。

帰宅難民を勇気づけた沿道の支援。

 一番多くの人々が選んだのが「歩いて自宅に帰る」という選択肢だったろう(自助努力。こういうところは日本人の本当にえらいところだと思う)。

 私の目の前にあるのは、国道15号線、通称「第一京浜」だった。この幹線道路がまったく動かなくなり、結局、帰宅難民となった人々は、ここを歩いて自宅に帰ることにした。

 後で聞いたら、私の知り合いは、川崎まで歩いて帰った。しかし、その道すがら「自分だけじゃない」と心強く思ったのが、道々の店舗だったそうだ。

 ある喫茶店は、店の内外にベンチを出し、熱いお茶を「無料です、どうぞ」と用意した。

 ファミレスのデニーズも店内を休憩場所として開放したという。暖をとるためのストーブも外に出した。

 コンビニによっては、歩いて自宅に帰る人々に優先して食料品を提供した。こうした様々なものに助けられて、彼が川崎の自宅に着いたのが、午前1時。

 その間、色々な動きがあった。東京都は、都立高校を出来得るかぎり開放し、帰宅難民の一夜の宿とした。

 バス会社も深夜も問わず、ピストン輸送的にバスを運行した。

【次ページ】 自転車通勤のここに気をつけて。

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