野ボール横丁BACK NUMBER
真っ向勝負に焦がれる斎藤佑樹。
“打たれる自由”を満喫できるか!?
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byMiki Fukano
posted2011/02/16 10:30
年下でも先にプロデビューしている選手は全員先輩となる。日本ハムの“最下級生”となった斎藤は、さらなる成長を果たせるか?
プロ入りした斎藤佑樹の本当のスタート。それは、打たれてからだと思っている。
大学時代、斎藤は「打たれ切った」ことがなかった。
理由は2つある。
1つは、入学早々からエース的な役割を任され、何より結果を優先しなければいけない立場にいたことが挙げられる。もちろん、夏の甲子園の優勝投手として鳴り物入りで早大へ入学し、プライドの上からも、そんな姿をさらすことはできないという個人的な事情もあったことだろう。
そのため、斎藤は大学時代、低めの変化球を多投し、かわす投球に徹した。むろん、それだって誰でもできることではない。だが、斎藤ほどの制球力と洞察力をもってすれば、斎藤にとってはスイッチを切り替えればできないことではなかった。
大学4年間を「かわし」通したことで得られなかったもの。
ただし通常、かわす投球は長持ちしないものだ。かわし続けていたら「かわし」にならないからだ。単なるボールの弱い投手になってしまう。
そこで投手は改めて強いボールを磨き直す。かといって、それだけでも通用しないので、そこに再び「かわし」を加味する。すると、前にも増して、その緩いボールも生きてくる。
投手はそういうサイクルを経て大きくなっていく。
だが、斎藤は大学時代、かわし通してしまったように思う。小さな成長サイクルはあったものの、長いスパンで眺めると、その印象が強い。それは斎藤の投手としてのセンスの高さを証明するものでありこそすれ、その逆では決してない。
ただ、こうとだけは言える。打たれ切らなかったことで、剛柔でいえば、剛の部分を磨き損ねてしまった。
磐石のリリーバー・大石の存在も斎藤の“自由”を妨げた。
4年秋、さすがの斎藤もつかまりかけたことがあった。やはり各チームとも、年々、斎藤のそんなスタイルに慣れつつあったのだ。でも、そんなときはスーパーリリーバー、大石達也(西武)が控えていた。ここが2つ目の理由である。
大学野球で、あれほどの投手が後ろに控えているチームというのは、そうあるものではない。エースが先発したら、打たれてもなおエースで引っ張り、場合によっては心中というケースもままある。だが斎藤は、そんな経験とも無縁だった。
斎藤はきっと大学時代、歯がゆかったはずだ。チームとしては「○」であっても、個人としては「×」ではないにしろ「○」でもなかった大学時代。打たれて嬉しい投手はいないだろうが、徹底的に打たれてしまう環境で野球がやりたい、と思っていたのではないか。
そういう意味では、プロに入り、斎藤はようやくそんな自由を得たわけだ。