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「江夏巨人入り」報道は“ガセネタ”ではなかった…「江夏豊獲得に反対した巨人関係者は誰か?」運命を狂わせた西武トレード、年俸7800万円の決断―2025上半期 BEST5 

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細田昌志

細田昌志Masashi Hosoda

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2025/04/26 11:00

「江夏巨人入り」報道は“ガセネタ”ではなかった…「江夏豊獲得に反対した巨人関係者は誰か?」運命を狂わせた西武トレード、年俸7800万円の決断―2025上半期 BEST5<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

1985年1月19日、多摩市営一本杉球場での「江夏豊たった一人の引退式」。当時36歳の江夏、引退試合を待つ控え室で

 9月24日のロッテオリオンズ戦では日本新記録となる31セーブポイントを記録し、岡部憲章、坂巻明といった若手投手、大宮龍男といった捕手の教育係としても貢献するなど、日ハム球団にとって欠くことの出来ない存在だった。

 しかし、シーズン終盤に風向きが変わる。江夏にとって最大の理解者だった監督・大沢啓二の退任、フロント入りが決まったのだ。この措置はオーナーである大社義規たっての希望で、浪人中だった長嶋茂雄に監督要請をするためだった。そこで立教大の先輩だった大沢啓二直々に長嶋本人と交渉するも、すげなく断られ、10月下旬には一軍投手コーチだった植村義信の監督昇格が内定する。

 このとき「恩義のある大沢さんが現場からいなくなるのなら、俺が日ハムに残る意味はない」と江夏が発言したことで、11月9日、日ハム球団は江夏放出を決定。ここから“江夏争奪戦”が勃発するのである。

「巨人、江夏獲得へ」報道

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 まず最初にラブコールをしたのがヤクルトスワローズだった。『日刊スポーツ』(1983年11月22日付)は1面で大きく「江夏ヤクルト入り」を報じ、オーナーである松園尚巳のコメントまで載せている。それに呼応するように、25日にはロッテの新監督に就任した稲尾和久も獲得を表明。江夏自身も「尊敬する稲尾さん直々にありがたいこと」と返すなど争奪戦の行方は混沌とする。

 しかし、実際に水面下で江夏本人と接触していたのはヤクルトでもロッテでもなく、実は巨人だった。さかのぼること2カ月前、『週刊ポスト』(1983年9月23日号)に「巨人、江夏獲得へ」と題した特集記事が載っている。そこには巨人のリリーフエース・角盈男の左肘の調子が思わしくないので新しいストッパーを欲していることと、当時のプロ野球最高年棒7800万円(推定)を支払える球団は巨人くらいであること、江夏自身も「最後の選手生活を巨人ですごしたい」と願っていることが書かれている。

 一見「どうせ、ガセネタ」と読み飛ばしてしまいそうになる軽めの特集記事だが、実際は記事の通りで、この時点で「江夏巨人入り」は既定路線となっていたのだ。

「とことんケンカしたいね、あの人と」

 これに待ったをかけたのが西武ライオンズだった。当時の球団代表だった坂井保之は後年『西武と巨人のドラフト10年戦争』(宝島SUGOI文庫)の中で、巨人が江夏獲得に先んじていた情報をキャッチし、すぐさま当時の日ハムの小嶋武士球団代表に1対2の交換トレードを申し込んだことを明かしている。

 また、江夏と親交の深かったフリーライターの永谷脩も同書で巨人が江夏獲得に具体的に動いていたことを明かすなど、その実現性の高さがわかる。しかし、翌季から巨人の新監督に内定していた王貞治が「若手を育てたい」と江夏獲得に難色を示したことで交渉が遅滞、その間隙を縫って、西武が江夏獲得に向けて巨人に追いつき、引き離したと回想している。

 興味深いことに『週刊ポスト』の報道から1カ月後、江夏自身もこうコメントしているのだ。

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