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「俺が『使うな』と言えば、どの球団も…」“巨人4位指名を拒否→ドラ1でプロ”を目指した異色選手の物語…心を折られた「球界の寝業師」からの一言
posted2025/04/21 11:01

球界に何度も常勝軍団を築いた「球界の寝業師」根本陸夫。巨人の指名を拒否しドラ1でプロ入りを目指した瀬戸山満年だが、その圧力に気圧されたという
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田口元義Genki Taguchi
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JIJI PRESS
今とは比べ物にならない人気を誇り、まさに「球界の盟主」だった昭和の時代の巨人軍。人気絶頂だった1980年のドラフトで1位指名されたのは、“若大将”こと原辰徳だった。だが、同じドラフトで4位指名を受けた瀬戸山満年は、周囲の予想に反して「指名拒否」の意向を示すことになる。人気球団の指名を蹴って社会人野球に進んだ瀬戸山が直面した、「その後の衝撃」とは?《NumberWebインタビュー全3回の2回目/つづきを読む》
名古屋で生まれ育った瀬戸山満年は東京に憧れていた。中京の3年になると、巨人から猛アプローチをかけられても野球部の監督である杉浦藤文の意向に従い、東京の社会人チームのプリンスホテルに進むこととなった。
1979年に誕生した西武ライオンズと同時期に創部。西武グループ傘下のチームは、瀬戸山が巨人の4位指名を断った80年のドラフトで石毛宏典が西武、中尾孝義が中日と、ともに1位指名されたこともあり、新興勢力の知名度は瞬く間に野球界に広まった。
社会人野球「超強豪」チームのリアル
社会人野球は「ノンプロ」と呼ばれるが、プリンスホテル野球部は他チームを凌ぐほどの厚遇だったという。
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本来の社会人チームならば午前中は社業に従事するところ、プリンスホテルの選手たちは午前中から西武球場で汗を流す。瀬戸山ら高卒選手は、大卒選手がメインで練習する午前中はサポートに回り、午後から室内練習場でバッティングなどのメニューをこなす。
「ユニフォーム一式は自分で洗わず、クリーニングに出せたりとかね。実際のプロは知りませんけど、そのくらいの扱いを受けるわけですよ。しかも、杉浦先生から『東京に行ったらダメになる』と言われて巨人を断ったのに、東京の会社に入るわけじゃないですか。だんだん悪い部分が出てくるわけです」
高校時代に「退学目前」と認めるほど素行が悪かった瀬戸山が、東京に染まっていく。