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「憧れの慶應ラグビーで…」スーパー1年生がなぜ“謹慎処分”を? 33歳の今も我がままに生きる元日本代表が語る“一流になれなかったラグビー人生”
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byKYODO
posted2025/04/10 11:05

慶應大時代の児玉さん。1年時からレギュラーに抜擢され大きな期待を集めていたが…
パナソニックとプロ契約「よく生意気な若造と…」
鞘ヶ谷ラグビースクール、小倉高校、慶應大学の先輩である山田章仁の計らいで練習参加していたパナソニックから正式な誘いを受けた時、児玉はあえてプロ契約にこだわった。まだ前身のトップリーグ時代、チームのほとんどが社員選手だった。
「高校時代、文武両道といえば聞こえがいいけど、もっとラグビーだけに懸けていたら……と思うこともあった。トップの世界でやるなら退路を断って勝負したい。中途半端は嫌。ラグビーでダメなら仕方ない、という思いでした。
それにしても、今考えるとよくこんな生意気な若造を獲ってくれたと思います。2、3年生って選手を見極める大事な時間なのに試合にすら出てないんですから。大きな懐で包み込むようなチーム。当時から練習も先進的だった。だから、今も強豪であり続けられているのだと思います。パナソニックとリクルート担当の方には感謝しかないです」
日本代表初キャップで5トライ
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そこから2年間、慶應大大学院に通ったのはプロとしてアスリートの肉体を追求するため。論文テーマは「ラグビー選手の身体組織とパフォーマンスの関係」だった。
デビューはプロ2年目。負傷した山田の穴を埋める活躍を見せると、その活躍が認められ日本代表スコッドにも名を連ねた。若手主体のメンバーで臨んだ2016年アジアラグビーチャンピオンシップの韓国戦では、初の代表キャップ戦ながらいきなり5トライをあげ、その後はサンウルブズの一員としても世界を転戦した。
しかし、その後は福岡堅樹、藤田慶和らが台頭すると、徐々にチーム内での序列を下げていく。
「(福岡)ケンキは高校時代からとんでもなかった。ウイングのプロフェッショナル。100m走したら敵わない。自分はどちらかというと、十種競技タイプですかね。でも、当時はウイングのポジションにこだわりがあって。もしフルバックとか違うポジションを真剣に取り組んでいたら、(2019年)W杯への道も拓けたかもしれませんね」
「超一流」との出会い
スーパーラグビーでのプレーを経て、西の強豪・神戸製鋼に移籍。しかし、コロナ禍の影響もあり満たされる時間とはならなかった。その後のNECグリーンロケッツ東葛でも満足いくプレー機会は訪れなかった。それでも、「恵まれたラグビー人生だった」と児玉は言う。