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「憧れの慶應ラグビーで…」スーパー1年生がなぜ“謹慎処分”を? 33歳の今も我がままに生きる元日本代表が語る“一流になれなかったラグビー人生”
posted2025/04/10 11:05

慶應大時代の児玉さん。1年時からレギュラーに抜擢され大きな期待を集めていたが…
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph by
KYODO
浅草の人力車夫に転身した元ラグビー日本代表の児玉健太郎さん。インタビュー3回目は、慶應大時代に突然公式戦から姿を消した「空白の時間」を振り返った。【NumberWebアスリート転身特集全3回の3回目/第1回から続く】
念願のタイガージャージに袖を通した児玉健太郎は、高校日本代表の肩書そのまま、1年生の時から対抗戦に出場した。明るい未来が待っているはずだった。
しかし、大学3年になった児玉に謹慎処分が下る。有望選手がグラウンドから姿を消したことで、さまざまな憶測も呼んだ。
「2年の時に監督が代わってから試合に出られなくなった。指導方針が大きく変わったことに反発したんです。先輩たちと早稲田を倒した“成功体験”があったので、いわゆる根性練習に納得できなかった」
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当時の記録によれば試合出場は5軍相当の“Eチーム”での2試合のみ。公式戦をスタンドから見守るしかできない日々。それでも、自ら退部する道は選ばなかった。
「やめようと思った時もありましたが、一緒に戦った仲間たちがいたので。(謹慎中も)僕の部屋に来て一緒に鍋をつついたり。当時は我が強く、自分を社会の中でどう表現していくかの術も知らなかった。たくさんの人に迷惑や心配をかけたがとても成長させてもらえた時間だったと思う」
「後悔はない。全然ないです」
4年時、和田康二監督が新たに就任すると、児玉はいきなりAチームに抜擢された。その年のレギュラーの大半はともに謹慎していた仲間だった。
「後悔はない。全然ないです。でも、今だったら違うアクションはできたとは思う。正論だったとしても、言う場所が間違ってたら意味がない。人を貶めたりするために言うのも違う。」
振り返れば、児玉は自分の心に忠実に生きてきた。