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「憧れの慶應ラグビーで…」スーパー1年生がなぜ“謹慎処分”を? 33歳の今も我がままに生きる元日本代表が語る“一流になれなかったラグビー人生”
text by

谷川良介Ryosuke Tanikawa
photograph byKYODO
posted2025/04/10 11:05

慶應大時代の児玉さん。1年時からレギュラーに抜擢され大きな期待を集めていたが…
「パナソニックでは(監督の)ロビー(・ディーンズ)さんにたくさん学んだし、NECに行ったときは、アルゼンチン代表を率いたマイケル・チェイカがヘッドコーチですからね。影響を受けた人はたくさんいますけど、神戸でダン・カーターと一緒にプレーできたのは大きかった。努力して、チームのために身体を張る。基本的なことですが、それをサボらないから周りも“この人の神輿を担ぎたい”と思う。あの人間力があるからどこでも中心選手になれるんだなと。一流になれなかったけど、超一流を近くで見ることができました」
「商売は、結局は人なんです――」と児玉は言う。AIが発達して生活までもが変化し、スキルがあればどこでも稼げる時代になった。それでも児玉が手間にこだわるのは、ラグビーを通して感じてきた人間の力なのだという。
「人にしか与えられない力」を信じて
「お餅だって機械で作るのが当たり前になっていて、むしろ手でつくことは衛生的じゃないし、弾力は落ちるし、カビるのも早い。でも、人が目の前で手間をかけて、気持ちを込めてついたお餅の方が絶対うまいと感じると思うんです。人力車だって、汗水垂らして運んで話をするから思い出に濃く残る。そこは絶対に人にしか与えられない力で。僕はそれを信じているんですよ。人の心を動かしたり、ありがとうと言ってもらうためには絶対ハードワークが必要だと思うんです。それはラグビーで学びました」
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現在は浅草の出店に向け準備に勤しむ。出店後も、人力車の車夫としての活動は続ける予定だ。
「自分のお店の前なら、(人力車の)声かけはできるルールなので。SNSをもっと頑張って、ビジネスを成功させたいです」
「我がままに生きる」。児玉が車夫としてもつ名刺には、そう記されている。自分の心に忠実に。異国の地でも、居心地の良い場所を見つけることはできるだろうか。〈全3回・完〉
