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高校中退した“17歳の日本人”がプロ野球で圧倒…当時対戦したNo.1バッターの証言「球が速すぎて途中から消える」“史上最速ピッチャー”尾崎行雄の伝説
posted2025/04/03 11:01

「史上最も球が速かった投手」との呼び声が高い“怪童”尾崎行雄
text by

太田俊明Toshiaki Ota
photograph by
KYODO
◆◆◆
尾崎行雄は、大阪・浪商時代から剛腕として知られた。特に「高校野球史上最強チーム」のひとつと言われる1960年~61年の法政二高(神奈川)との甲子園での3度にわたる直接対決は、いまも球史に残る名勝負として語り継がれている。
「16連続奪三振」尾崎行雄の伝説
後にV9巨人のリードオフマンとして活躍した柴田勲が投打の主軸として君臨していた法政二高は、1960年夏の甲子園で優勝、翌61年の春も制して夏春連覇。61年夏も完成度の高い実力校として甲子園3連覇を目指していた。
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柴田の1学年下だった尾崎は、浪商の若きエースとして、60年夏、61年春、61年夏と、実に3大会連続で法政二高と激突している。
尾崎は、浪商入学と同時に頭角を現し、1年春の岡山・琴浦高校との練習試合に4回1死から登板すると、9回2死まで16連続奪三振。同日午後の岡山東商戦に先発して、18奪三振完封という驚異的な投球を披露し(「甲子園怪物剛球伝説」ベースボール・マガジン社)、1年の夏には早くもエースの座をつかんで60年夏の甲子園に登場した。
1度目の対戦。尾崎は、2回戦で法政二高の柴田と投げ合い0-4で敗れたが、この大会で法政二高は、1回戦14-3、2回戦(浪商)4-0、準々決勝8-0、準決勝6-0、決勝は静岡を3-0という盤石の展開で初優勝している。
2度目の対戦。尾崎が2年生になった61年春の選抜は、準々決勝で激突。この試合にも尾崎の浪商は1-3で敗れ、法政二高はそのまま夏春連覇を決めた。
最後となる3度目の対戦は、61年夏の甲子園。2年生・尾崎は大阪予選50イニング無失点という成績を引っさげて、甲子園3連覇を目指す法政二高と準決勝で激突。この試合は、延長11回の末に4-2で尾崎が初めて勝利し、そのまま桐蔭(和歌山)との決勝戦も1-0で制して浪商が優勝した。
当時メディアはどう報じた?
結局、尾崎と柴田は、3大会連続で、この直接対決に勝利したチームがその大会を制するという歴史に残るハイレベルな戦いを演じたのだった。