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プロ野球PRESSBACK NUMBER
高校中退した“17歳の日本人”がプロ野球で圧倒…当時対戦したNo.1バッターの証言「球が速すぎて途中から消える」“史上最速ピッチャー”尾崎行雄の伝説
text by

太田俊明Toshiaki Ota
photograph byKYODO
posted2025/04/03 11:01

「史上最も球が速かった投手」との呼び声が高い“怪童”尾崎行雄
尾崎2年時の春と夏の甲子園での成績がすさまじい。61年春の選抜では、3試合28回を投げて、奪三振42個(奪三振率13.5)、被安打15本(9回当たりの被安打4.8)、四球2個(9回当たりの四球数0.67)、自責点2(防御率0.67)、WHIP0.63。選抜史上最高の投手とされる1973年春の江川卓(作新学院)に迫る数字である。
61年夏も、5試合44回を投げて、奪三振54個(奪三振率11.0)、被安打26本(9回当たりの被安打5.3)、四球5個(9回当たりの四球数1.0)、自責点1(防御率0.20)、WHIP0.70という抜群の成績だった。
〈その素晴らしい速球には重みが加わって打者を威圧し、鋭いシュート、小さいが鋭角なカーブのミックスは簡単には打ち込めない〉(「朝日新聞」61年8月20日)
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〈あのときの尾崎君の球は間違いなく速かった。僕も130~140キロくらい投げ、速球派といわれたが、その比ではなかった。(中略)体を揺らし、反動をつけて投げるロッキング・モーションからの剛速球。あれで十分。他の球種はいらない〉(柴田勲「週刊実話」2013年7月4日号)
高2で中退→プロ入団…衝撃デビュー
2年生にして優勝投手となった尾崎は、2年の秋に突然浪商を中退してプロ野球の東映に入団して驚かれた。400勝投手、金田正一も3年の夏に享栄商業を中退して国鉄に入団しているが、2年時にプロに引き抜かれた尾崎は、それだけ甲子園で傑出した才能を見せたということだろう。
東映入りした尾崎は、1年目の4月8日開幕2戦目の大毎オリオンズ戦の10回表にプロ初登板。2番・葛城隆雄、3番・榎本喜八、4番・山内一弘という強打者を相手に、15球すべてストレートで、ピッチャーゴロと連続三振に打ち取った。尾崎はこのとき、実に17歳であった。
浪商にいれば3年生の春だった17歳の尾崎と対戦した当時のプロ最強打者の一人山内一弘は、初対戦で空振り三振を喫し、試合後にパ・リーグの事務局長だった伊東一雄に、〈どうだ、尾崎の球は〉と声をかけられ、〈球が速すぎて途中から消える〉と語ったとされる(「甲子園怪物剛球伝説」ベースボール・マガジン社)。
じつは野村克也や張本勲も、尾崎について言及している。怪童を生で見た選手たちの証言を紹介しよう。
〈つづく〉
