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「あ、もう終わった…」オリックス・比嘉幹貴の野球人生を変えた12年前の「悪夢の開幕戦」2日連続サヨナラ負けから切り拓いた“火消し職人”の道 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byNaoya Sanuki

posted2025/03/26 11:03

「あ、もう終わった…」オリックス・比嘉幹貴の野球人生を変えた12年前の「悪夢の開幕戦」2日連続サヨナラ負けから切り拓いた“火消し職人”の道<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

ピンチのマウンドを何度も救った「火消し職人」の比嘉

 現役生活でもっとも印象に残っている試合を尋ねた時、比嘉が挙げたのは、優勝した試合でも、日本一になった試合でも、ソフトバンク松田宣浩にサヨナラ打を打たれて優勝に届かなかった2014年10月2日でもなく、2013年の開幕戦だった。

「僕の中では、2013年の開幕戦で負け投手になった、あそこが本当にターニングポイントでした。誰も覚えてないと思うんですけど」

 その試合は、開幕投手の金子千尋が8回1失点と好投し、試合は1-1のまま延長戦に。12回表にオリックスが1点を勝ち越し、12回裏に比嘉がマウンドに上がった。

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「抑えていたら初セーブだったんですよ。でも逆転されて、負け投手になった。で、次の日もチャンスもらったんですけど、またダメで……」

「あ、もう終わった」

 開幕2戦目も延長戦となり、比嘉は12回裏1アウト一、二塁でマウンドに上がるが、死球を与えてピンチを広げ、わずか3球で降板。後続の投手が犠牲フライを打たれ、開幕から2日連続のサヨナラ負けを喫し、比嘉は翌日登録を抹消された。

 比嘉は「むちゃくちゃな開幕でした」と振り返る。

「あの年は4年目だったんですけど、それまでの3年間は毎年怪我があって20試合ぐらいしか投げられなかった。もう30歳を過ぎていよいよ後がなくなり、あの年は『絶対に開幕一軍!』とめちゃくちゃ意気込んでオフからやってきて、開幕一軍に入れたのですごく嬉しかったんです。なのに2日でぶち壊してしまって、本当にショックだった。『あ、もう終わった。こうやって野球人生終わるんだな』と思いました」

 だが追い詰められた比嘉は開き直った。

「そこでもう『ストライクに投げよう』と思ったんです。それまではキレイにやろうとして、(厳しいコースを狙って)フォアボールが多かった。けどもう、1回死んだし。もうストライクゾーンにガンガン投げようと思った。そうしたら、4月中にもう一度上げてもらえたんです」

“開き直り”で見出した投球スタイル

 当時の福良淳一ヘッドコーチ(現ゼネラルマネージャー)の言葉にも背中を押された。

「『相手はお前の投げ方嫌がってんだから、ストライクにガンガン投げたらいいんだよ』みたいに言われて。僕もそう思っていた時だったんで、本当に『それでダメだったらもういいや』と。四隅狙ってもダメ、ストライクゾーンに投げてもダメ、となったらもう、この世界の壁にぶち当たって終わり、というだけのこと。だからやれることをやろうと割り切ったら、どうにか成績がついてきてくれました」

 サイドスローの独特のフォームから、ポンポンとテンポよくストライクを奪っていく。その年リリーフとしての立ち位置を確立すると、翌14年には62試合に登板し、防御率0.79という驚異的な数字でチームの2位躍進に貢献した。

「もう死んだ」と思うほどの崖っぷちも経験した比嘉だからこそ、その言葉が後輩たちに響くのかもしれない。

【次ページ】 古田島にかけた言葉

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