NumberPREMIER ExBACK NUMBER
「10割を目指していたんでしょうね」なぜ“4番イチロー”は日本最終年に無双できたのか…自己最高打率.387の理由に迫る「ポトリと落ちる打球が理想」
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2025/01/22 17:01
日本球界最終年となった2000年に自己最高打率.387を記録したオリックスのイチロー。仰木彬監督と握手
打順が4番でも自分のスタイルで快調に打ちまくったイチローは、4月14日のダイエー戦で3打数3安打を放つと、次の試合の初回2死二塁の場面で敬遠される。後に敵将だった王貞治が「少しでも平常心を失うように」と意図を明かした敬遠策であった。それほどまで“4番イチロー”は相手の手に負えなくなっていた。そして、オリックスは苦手だった4月を13勝8敗と勝ち越して首位に立つ。
「“優勝するなら今年しかない”と、口にせずともみんな思っていました。この年がイチロー最後の年になること、いずれは田口も行くんだろうなということも選手のみんなはわかっていましたから」
背番号「52」でオリックス時代のイチローの相棒と称された大島公一現・法政大学野球部監督は、当時のチームの空気を覚えていた。
ADVERTISEMENT
「ただ、4番イチローの印象は、ほとんどないんですよ。4番でも1番でもイチローは常にイチローでした。この年は開幕からずっと4番なんですよね。前年まで3番が多かったのですが、仰木さんは調子が悪くなると1番に戻すんですよ。それが一度もなかったということは、それだけシーズンでいい状態を維持し続けられたということなんでしょうね」
イチローは言った「ポトリと落ちる打球が理想」
イチローは4月を3割8分5厘、5月も打ち続けると、6月10日の日本ハム戦で6年ぶりとなる打率4割に到達する。メディアが夢の4割と騒ぎ立てるなか、イチローはこの時期のインタビューで、体感ではストライクゾーンの7割を捉えられる確信を得たと述べている。大島が言う。
「前年にセカンドゴロを打った時に、何かを掴んだというのは聞いています。これは立ち話をしていた時にイチローから聞いた話ですけど、打ちに行った時に『後ろの膝が前に出ない』という言い方をしていましたね。前の足が地面に着地したとき、膝が前に出ると後ろの肩が開いてセカンドゴロになりやすい。一方で膝が内側に入ると肩が残るので、バットがインサイドアウトになってヒットが出やすいと。イチローが言うには、『インコースのボールに詰まって三塁の後方にふらふらと上がって、ポトリと落ちる打球が理想』とのことです。その打球になるバットの軌道なんでしょう。セカンドゴロの話と、この話が僕の想像の中でリンクしています」
さらに7月に入ってからのイチローは集大成とも言うべき輝きを見せる。
【続きを読む】2月12日まで初月「99円」の新年特大キャンペーン中!「NumberPREMIER」内の「渡米前は、孤独だったと思いますよ」なぜイチローと松井秀喜は“日本最終年”に無双できたのか…打率.387と50本塁打の理由を探る《証言:大島公一、藤井秀悟ら》で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。