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「10割を目指していたんでしょうね」なぜ“4番イチロー”は日本最終年に無双できたのか…自己最高打率.387の理由に迫る「ポトリと落ちる打球が理想」
posted2025/01/22 17:01
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
SANKEI SHIMBUN
発売中のNumber1112・1113号に掲載の《2000&2002[“51”と“55”の輝き]なぜ2人は日本最終年に無双できたのか》より内容を一部抜粋してお届けします。
日本最終年に自己最高打率.387を記録
「日本野球でやり残したことはない。そう言えるほど別格でした。同じグラウンドに居ても見ている世界が違う。一打席一打席のすべてに結果を出す、要は10割を目指していたのでしょうね。そうでなければ4割近くの数字は残せないと思うんですよ」
兵庫県神戸市。かつての本拠地・グリーンスタジアム神戸近くのクラブチーム「アスミビルダーズ」の事務所で、ミスター・ブルーウェーブ藤井康雄が振り返った。
イチローとはブレイク前から何かと気が置けない仲で、11歳上のチームの大黒柱にもかかわらず、新宿へバッシュを買いに行くのに付き合わされたりもした。現在の話しぶりからも人柄の良さが滲み出る。
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「まぁ、それができてしまうのがイチローですよ(笑)。高卒1年目から『センター前ならいつでも打てる』と豪語した、なんて逸話もありますが、'94年に210本を打ちイチローフィーバーが起きてからは、もう外にも連れて歩けなくなっていましたし、チームでの移動も別になった。スタイルが違うからバッティングの話もできないしね。孤独だったと思いますよ。成績的にも3割4分、5分なんて数字が当たり前で、お客さんも次第に慣れてしまうんですから。その重圧の中でメジャーに行くと決めていた日本最後の年、3割8分7厘という自己最高の結果を残しましたからね」
仰木彬監督が4番起用を明言した理由は?
2000年のイチローは、開幕前にオリックス仰木彬監督が4番に起用することを明言。代名詞でもある猫の目打線を止め、1番田口壮、2番大島公一、3番谷佳知と上位打線を固定することを宣言した。これに対しイチローはこれまで「タイプじゃない」と抵抗感を顕にしてきた4番という打順をすんなりと受け入れている。
「4番イチロー……うん。仰木さんだからなんでもありなんですけどね(笑)。ただ、あの年は僕も選手として晩年に差し掛かっていたし、外国人選手も思うように機能せず、チームとして4番打者がいない事情があった。だから、ホームランよりもランナーを返せる確率が一番高いイチローを打線の核に置いたのでしょう。イチローもホームランを打とうと思えば打てる。僕やニールとホームラン競争しても、一番飛ばすのはイチローでした。でも4番になったからといって、イチローのスタイルが変わるわけじゃなかった」