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「じつは俳優しながら…大工で家を2、3軒」“消えた高校サッカー得点王”大学中退後のトリッキーすぎる転身人生「世間って冷たいな、とも」
text by

生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byAtsushi Ehara
posted2025/02/06 11:02

かつて高校サッカー選手権得点王に輝いた江原淳史さん。サッカーとの距離感が離れた時期もあったという
「大工は楽しくなっちゃってしばらくやってましたね。自分が携わった家が2軒、3軒あって、いまも近くを通ると思い出します。やっぱり当時は、俳優志望でもなかったし、仕事を始めてからも役者を気取ったりしなかった。サッカーから離れちゃって5、6年、いつかまた戻るだろうなとぼんやり思いながら、ほんと遊んでいた感じです」
サッカー界に戻ったのは30代のことだった
江原は「高校サッカー得点王から俳優業」だけではなく、様々な業種へと転身していた。
まだ芸能の仕事をしていた時期に、ひょんなことからアミューズメント業界に出入りするようになると、やがて店舗を任された。いまも付き合いの続く仲間と4年ほどお店を切り盛りした頃、社会情勢の変化で会社は解散となってしまった。30代になっていた江原が再びサッカー界へ戻ったのはそんな時期だった。2008年、小中学校のチームメイトだった長岡修が将来のJリーグ入りを目指してアヴェントゥーラ川口を創設。以前から聞いていたそのプロジェクトに参画することにしたのだ。
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「同級生が公務員を辞めてアヴェントゥーラを立ち上げたんです。俺はちょうど埼玉に帰ってくるタイミングだったから、手伝えることはやってみるよって。それだけで食べていけないので、武南のサッカー部の先輩に会社を紹介してもらいました。居酒屋をフランチャイズ展開する会社なんですが、創業から関わっていたら面白くなっちゃって、結局10年やっていました」
すっかりサッカーから離れていた江原が、30代になって再びボールを蹴る。アヴェントゥーラ川口のアカデミー指導者として、小学生年代の育成に関わる日々が始まった。そしていつしか「休日がサッカー」と語るまでのめり込むようになっていく――。
〈つづく〉
