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高校サッカー消えた天才得点王「選手権がピークでした」異様な“アイドル人気”に戸惑い「女子100人超が2月14日、自宅近くへ…校庭にも」
posted2025/02/06 11:01

高校時代の江原淳史さん。武南で選手権得点王に輝いたFWは、当時アイドル的な人気を博した
text by

生島洋介Yosuke Ikushima
photograph by
Yow Kobayashi/全国高体連記録部
8ゴールを決めながらも“Jを経験していない”得点王
全国高校サッカー選手権の得点王と聞いて、ぱっと思い浮かぶのはどの選手だろうか。歴代最多10得点をマークした大迫勇也(鹿児島城西/現ヴィッセル神戸)か、歴代2位の9得点を挙げ、通算では最多17得点を叩き出した平山相太(国見/FC東京など)か。続く8得点にも大久保嘉人(国見/セレッソ大阪など)や吉原宏太(初芝橋本/ガンバ大阪など)ら錚々たるストライカーが名を連ねる。一方、8ゴールまで(1990年代以降)で唯一Jリーグを経験していない得点王がいる。
武南の江原淳史である。
以前からの高校サッカーファンにとって、記憶に残る得点王のひとりだろう。
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江原が8得点を挙げたのは、1992年度の第71回大会。三浦淳宏や永井篤志を擁する国見が、エース石塚啓次を怪我で欠きながら快進撃を見せた山城を決勝で撃破した大会だ。江原はその国見に敗れた準決勝を含めて、初戦から5戦連続でネットを揺らした。華麗なゴールと端正な顔立ちでアイドル的な人気は沸騰。小学生時代、東海大一の平澤政輝やサントスの活躍に胸を打たれ、国立を目指してきた江原は、その至高の舞台で大ブレイクした。
頸椎のケガ…それでも選手権に出たかった
ただ、全8点のうち利き足でのゴールがわずか1点。その理由は体に力が入らず、なんとか楽に蹴ることができるのが左足だったからだ。実は当時、江原の体は万全とは程遠い状態だったという。
「ぶつかってバーンと弾けたところまでは、なんとなく覚えてるんですけど……」
3年秋に埼玉選抜の一員として出場した国体の準決勝で、相手GKのパンチングを首に受け頚椎を損傷していた。
「あとは次の日まで全く記憶がない。しばらくは何もできなくて、2、3週間経って少し動けるようになったらもう、選手権の2次予選が始まるというタイミングでした」
迎えた本庄東との埼玉2次予選初戦は、本大会と同じくらい強く江原の記憶に残っている。この年の武南は関東大会で準優勝し、インターハイは3回戦に進出していたが、初戦の硬さかゴールが遠くスコアレスのまま残りは数分……という場面での緊急投入だった。
「俺は選手権のために生きてきたんだ」