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「マネージャーだけど主将」“鎮西の3番”への憧れを封印した最後の春高バレー…全国制覇の夢散るも「畑野先生の隣でたくさん学べた」
posted2025/01/10 11:02
text by
田中夕子Yuko Tanaka
photograph by
Sankei Shimbun
4年連続のセンターコートまであと一歩だった。
春高バレー準々決勝で敗れた鎮西高校の選手たちが、呆然と立ち尽くす。あふれる涙を堪えきれずに両手で顔を覆う選手や、膝に手をつき崩れ落ちる選手。それぞれがコートで悔しさを噛みしめる中、ベンチで両手で顔を覆い、一人で涙していたのが鎮西のマネージャー、香本夏輝(3年)だった。
整列を促され、ベンチから立ち上がると涙を拭い、歴代の主将が背負ってきた「3番」をリベロとして初めてつけた栗原陽や2年生エースの岩下将大ら、一人一人に歩み寄り「よくやったよ」と声をかける。
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「欲を言うなら勝ちたかった。でも、みんながみんな、チームのために一生懸命戦ったので悔いはないです。本当にありがとう、という気持ちしか出てきませんでした」
香本はマネージャーであるだけでなく、ユニフォームを着てプレーすることがない鎮西史上初のキャプテンでもあった。
高校バレーボール界のエースナンバー
春高開幕をひと月後に控えた昨年末、香本の話を聞いた。マネージャーの自分が、キャプテンに抜擢されたこと。最後の春高へ向かう思い。コートに立てないからこそ、思いがあふれた。
「3番、憧れますよね。鎮西の3番は、やっぱり特別なので」
高校バレーには高校野球のピッチャーが「1」をつけるような、明確なエースナンバーはない。だが、バレーボールファンや関係者に「高校バレーのエースナンバーは?」と聞けば、おそらく多くの人が「3」と挙げるのではないか。そして、思い浮かべるのはきっと鎮西の黄色のユニフォームだろう。
宮浦健人(ジェイテクトSTINGS愛知)や鍬田憲伸(ヴォレアス北海道)、水町泰杜(ウルフドッグス名古屋)。そして、2年前、敵将に「あれぞ、THEエースと呼ぶべき選手」と称賛された舛本颯真(中央大学)など、3番を背負ってきた選手には錚々たる顔ぶれが並ぶ。
そもそも、「鎮西の3番」はチームを率いて50年を迎えた畑野久雄監督(79歳)が敬愛する長嶋茂雄氏の背番号から取ったもの。世代によってはエースばかりでなくセッターの選手がつけることもあったが、どんな時も、どんな相手にも強く、逃げずに立ち向かうエースの姿に3番を重ね、多くの選手たちが憧れてきた。香本も、その一人だった。