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「さすが怪物ですね」テレビ解説も驚愕…無名の新興校“100年に1人の逸材”が見せた伝説の区間新…26年前、全国高校駅伝“奇跡の初出場4位”ウラ話
text by
山崎ダイDai Yamazaki
photograph byGetsuriku
posted2024/12/22 06:04
1998年、初出場の全国高校駅伝で4位に入賞した佐久長聖。当人たちも「全然、期待していなかった」という奇跡はなぜ起きたのだろうか?
にもかかわらず、チーム全体で「上を目指そう」という感覚は希薄だった。監督を務めた両角にしても、地元紙などの取材には「入賞を目指したい」と言っていたものの、その実、松崎たちからすれば「目標を達成してひと段落している感じはあった」という。
他の強豪チームにしても、持ちタイムこそ良いとはいえ、初出場の新興チームを脅威に感じているそぶりは一切なかった。
みんな自分たちなんか気にしてもいない。目標は達成したんだから、あとは思い切って、好きなように走ればいいだろう――。この後、27年連続で全国大会に出場し、24度の入賞と3度の全国制覇を誇ることになる「超名門」初の都大路は、ただただ無欲のままに幕を開けた。
2区佐藤が9人抜きで3位に…「こんな前で来るの?」
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「え、こんな前で来るの? テレビ、映れるなぁ」
3区を任されていた松崎は、突然スタッフに呼ばれて中継所に向かいながら、そんなことを考えていた。
当時はまだ気軽に携帯電話で連絡がとれない時代である。中継所でもテレビ中継は流れていない。松崎としても自チームが果たして何位を走っているのかは、実際に自分の目に映るまで分からなかったのだ。
この時、佐久長聖はエース区間の1区10kmを走った宮入一海が12位で滑り出した。
すると2区3kmに起用された佐藤が1kmを2分28秒という、テレビ解説も思わず「怪物ですね」と驚愕するほどのとてつもないペースでツッコむと、26年後の今も残る区間新記録の激走で、9人抜きの3位でタスキを運んできたのだ。
「驚きはしましたけど、緊張はなかったですね。『勝たなきゃいけない』『結果を出さないといけない』となると緊張するんでしょうけど、当時は本当にチャレンジャーだったので。とにかく前を追おうと。それしか考えていなかったです」
奇しくも松崎の目の前でタスキを繋いだのは、昨日の開会式で羨望の眼差しを向けた兵庫・西脇工業の藤原正和(現中大監督)だった。その西脇工業と、1区に留学生を起用して先行する仙台育英(宮城)の背中を追って、準エース区間の3区8kmを区間8位で走り切った松崎は、3位をキープしたままタスキを4区の高見澤勝へと渡した。
レースの流れを追うと、その高見澤が東農大二(群馬)に抜かれ1つ順位を落としたものの、5区を走った矢嶋信が抜き返して再び3位に。6区の小出徹も順位を維持して、そのまま3位でアンカーへとタスキが渡っていた。