ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「もし反発したら、外すわ」なぜ全日本女子プロレスには“25歳定年制”が存在した? あのビューティ・ペアさえ引退に追い込まれた“独特の掟”
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ/アフロ
posted2024/12/02 17:01
1970年代後半に一世を風靡したビューティ・ペア
80年代末からWWWA世界王者として全女の頂点に君臨したブル中野は、92年11月26日の川崎市体育館大会でアジャコングに敗れ、WWWA世界王座から陥落した。この時、ブルはキャリア10年目の24歳。これまでの全女の通例に従えば引退しなければならないが、ブルは王座陥落後も別格の存在として限定出場で現役を続行。さらに個人でメキシコCMLL、アメリカのWWE、WCWなどに進出して王者になるなど、世界で活躍する日本人女子プロレスラーの先がけとなった。
「25歳定年制」はこうして形骸化した
そして全女も93年から本格的に団体対抗戦の時代に突入。そこで男性ファンたちが熱狂したのは、アジャコング、北斗晶、豊田真奈美、井上京子ら卓越したプロレス技術を持った選手たちの激闘だ。
こうして全女のレスラーに求められるものが、「若さとひたむきさ」から、プロレスの試合としてのクオリティに変わっていったことで、「25歳定年制」は形骸化していったのだ。
現在、日本の女子プロレス界は「レスラーのアイドル化」と言われて久しいが、トップレスラーの多くはキャリア10年以上で25歳以上の選手。ルックス重視と思われながらも、それ以上に試合内容も重要視されている。それはかつて男のプロレスから半ば“別ジャンル”扱いされ区別されていた女子プロレスが、名実ともに「プロレス」となった証でもあるのだろう。