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「もし反発したら、外すわ」なぜ全日本女子プロレスには“25歳定年制”が存在した? あのビューティ・ペアさえ引退に追い込まれた“独特の掟”
posted2024/12/02 17:01
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
東京スポーツ/アフロ
ダンプ松本の半生を描いたいNetflixドラマ『極悪女王』で話題となった全日本女子プロレス(以下、全女)は、1985年まで国内唯一の女子プロレス団体だった期間が長かったため、他の団体にはない独特のルール、掟が存在した。その代表的なものが、酒、タバコ、男を禁じる「3禁」と、もうひとつが「25歳定年制」だ。
「25歳定年制」とは、その言葉通り、どんなレスラーでも25歳前後になったら“定年”を迎え引退しなければいけないというもの。25歳というと、プロレスラーとしてこれから脂が乗ってくる時期であり、アスリートとしてもピークの頃。あまりにも早過ぎるとも感じるが、全女の松永高司会長には「女子のピークは20歳前後。25歳になったら力が衰える」という信念があり、この不文律が生まれた。
著書『女子プロレス 終わらない夢 全日本女子プロレス元会長 松永高司』(扶桑社)で、松永会長は25歳定年制を定めた理由を次のように説明している。
「女子レスラーのいい時期は、15歳から25歳まで。最高に光らせて、ピークに持っていったときに辞めさせる。それで『25歳定年』なんですよ、だいたいは。それ以上使っていたんでは逆に酷だし、少しでも落ちる姿を見せたくなかったし、嫁に行く機会もなくなっちゃうからね」
ロッシー小川は全女を「八百屋」に例えた
つまり25歳定年制は、松永会長が考える「女子レスラーの最もいい時期」に活躍させ、それ以降は第二の人生のことを考えて引退させる。要は選手のためを思っての“親心”ということだ。
実際に25歳定年にはそういった意味があったことはたしかだろう。ただ、それだけではない。そこにはシビアなビジネスとしての考えも当然存在した。
70年代末から90年代後半まで全日本女子プロレス興業の社員として広報などを担当した現マリーゴールド代表のロッシー小川は、全女を「八百屋」に例えてこう語っている。