ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「もし反発したら、外すわ」なぜ全日本女子プロレスには“25歳定年制”が存在した? あのビューティ・ペアさえ引退に追い込まれた“独特の掟”
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by東京スポーツ/アフロ
posted2024/12/02 17:01
1970年代後半に一世を風靡したビューティ・ペア
「昭和の時代の全女は、つねに新陳代謝をして“鮮度のいい商品”をお客さんに提供するという考えだったんですよ。その鮮度が落ちてきたらもういらないんです。要するに、つねに新しい商品を並べるために棚から外さなきゃいけない。それが25歳定年制の根本にある。
だからクラッシュ・ギャルズの前ぐらいの時代までは2~3年でトップになれなかったら、もうなれないんです。次の若い選手がどんどん出てくるから、4~5年やったらもう辞めざるをえなくなってくる。だから25歳定年と言っても、実際に25歳になったら『はい、辞めてください』っということではなくて、旬を過ぎた選手はマッチメークで冷遇され始めるので、選手のほうでそれを感じ取る。全女での旬って短かったんですよ。昔は15歳、16歳で入るから、10年やったら25歳で、もうそれでおしまいなんです。
また長くやっていると選手に知恵がつくでしょ。たとえば『年間280試合もやらされて、これだけしかお金がもらえないのはおかしい』とか考えるようになる。だから知恵がつかないうちに『もう歳だからやめなさい』ということになるんですよ」
10代半ばでプロレス入りした女の子を全女が選手として必要とするのは、“旬な時期”である数年間のみ。それを過ぎたら、半ば使い捨てにされるという極めてシビアな現実が浮かび上がってくる。
「25歳を越えた選手が化けるとは思わない」
松永会長は著書で、こうも述べている。
「25歳を越えた選手が化けるとは思わないもん。25歳を過ぎてから人気が出た選手はひとりもいないんだよ。『25歳以上のチャンピオンもありえない』って俺は言うの。(中略)25歳を過ぎてもプロレスをやるって言うなら、やっぱりメインイベンターでもうしろへ引かせないと。どうしても、そこがガンになると。だって、次を出しておかないと、そのメインイベンターが終わったら、会社が全部終わっちゃうもんね。
(選手が)もし反発したら、そこから外すわ。そりゃ甘やかしたらダメですよ。こちらが常に主導権を持ってこないと。言うことを聞かなかったら、身の振り方を考えろと。どんな子でも『この子に辞められたら困る』というのをわからせちゃうと、横暴になるからね」
ここで注目したいのは、「25歳以上のチャンピオンもありえない」という発言だ。全女には25歳定年制と並行して、団体の頂点の証であるWWWA世界シングル王座(通称・赤いベルト)に就いた選手が敗れて王座陥落したら引退しなければならないという不文律も存在したのだ。
それを長与千種は「赤いベルトは死のベルト」と称したが、大相撲で横綱が陥落できずに引退しなければならないのと同じように、WWWA世界王座を失った女子プロレスラーに待っているのも引退だけだった。