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「W杯に出られなかった経験を…」“日本代表から消えたFW”がドイツで5ゴール、町野修斗が語る“企業秘密”の強み「日本のために蹴れるなら」
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byAdam Pretty-FIFA/Getty Images
posted2024/11/08 11:04
カタールW杯メンバー選出時の町野修斗。ブンデス1部でゴールを奪う今季を含めた現状を聞いた
高校サッカー界の華・冬の「選手権」は、同点のままで前後半を終えると、すぐにPK戦に突入する。だから、高校サッカーの世界ではPK練習の優先順位が高くなる。そうしたシステムが、成功率の差にも影響しているのだろう。
では、町野が教わったPKのコツとは何か。
「決め方はありますけど、それがどういうものなのかを言ってしまうのは……“あまり良くない”かもしれないですね」
町野は微笑みながら、そう話す。履正社高校時代に習ったコツが、“企業秘密”として存在している。そして、それもストライカー町野の一つの強みとなっている。
日本のために蹴れるなら…
その企業秘密は明かしてもらえなくとも――聞かずにはいられないことがあった。
カタールW杯、クロアチアとのPK戦では自主的にキッカーを名乗り出る「立候補制」が採用された。
町野は自分に信頼されるだけの力があれば試合に出られたと考えており、監督の起用法に不満は一切ない。それを確認したうえで、こう聞かずにはいられなかった。
「あくまで仮定の話ですが、もしあの試合に交代出場していたらキッカーに名乗り出ていましたか?」
町野は即答した。
「はい、蹴りたかったです」
では、それは何故か。ストライカーとしてのエゴではなく、強い想いがあったからだ。
「日本のために蹴れるなら……蹴りたかったです」
W杯翌日の出来事と、キール移籍後の苦難
思い出すのは、カタールW杯コスタリカ戦の翌日だ。絶対に勝たないといけない相手と目されていた中での敗戦。ピッチ上の空気は重く、静まり返っていた。練習を見守る報道陣がかもし出す空気でさえも、ドイツ相手に金星を挙げた翌日の高揚感とは打って変わった重苦しいものだった。
サブ組だけの練習は、お通夜のように進んでいった。そして、短距離のスプリントから強度を上げていくメニューが始まる直前のことだった。
重苦しい雰囲気を壊したのは、そういうときに声を出すことを求められるベテラン選手ではなく、年齢が下から2番目の町野だった。
「行こう、行こう!」
両手を叩き、チームメイトを鼓舞していった。それが町野修斗という選手が代表で見せた姿である。
そんな町野だが、ドイツ移籍後はキールという街の環境などで悩んだ期間もある。その苦しみを緩和してくれたのは高校時代の先輩、そして妻の存在だった。
〈つづく〉