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「俺たち無事だと伝えて欲しい」大震災の朝もトラ番は甲子園に向かった…草分け記者が見た90年代阪神の熱狂「20歳の新庄剛志」「あの退団騒動」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2024/09/27 11:08
1994年の阪神タイガース。サヨナラ満塁本塁打を放った新庄剛志がチームメートの祝福を受ける
担当1年目の92年、中村勝広監督就任から2年間最下位に沈んでいた阪神は久々の躍進を見せた。亀山努、新庄剛志の「亀新フィーバー」が吹き荒れ、シーズン終盤までヤクルトと優勝争いを演じた。
「あの年は久しぶりに虎の凄まじい人気を目の当たりにしました。新庄選手は入団3年目、まだ20歳でしたが、今に通じる派手なオーラはありました。ベルサーチが大好きだったし、スタイルが抜群で常にフレグランス! というようないい匂いを漂わせていてね。彼に一番密着していたのは先輩記者で、私は若手トラ番として新庄選手に煙たがられながらも必死に取材していましたが、常に精一杯答えてくれたし、若いながらも阪神のスターとしての立場をしっかり全うしていた姿が印象深いです」
忘れられない「ディアー退団」
4年間の阪神担当時代で、思い出深いスクープ取材がある。94年シーズンに在籍したロブ・ディアーの退団劇だ。メジャー通算226本塁打の実績を引っ提げて鳴物入りで入団した助っ人は、ファンから大きな期待が寄せられていた。メディアもキャンプからその一挙手一投足に熱視線を送っていたが、シーズンに入るとディアーは三振の山を積み重ねた。「2億7000万円の大型扇風機」と揶揄された痛烈な批判は当然、本人の耳にも届いていた。
「大きな期待を持って迎え入れられたのに、日本の野球に全然合わなかったんですね。夏場に入って当時の横浜スタジアムのベンチで試合前に話をしていたら、英語で『もう自分はリタイアするよ』とポツっと言ったんです。驚いて聞き返すと『もうアメリカに帰るつもりだ。でもこれだけ期待してくれたファンをがっかりさせることだけが自分としてはものすごく辛い』と切々と話してくれたんです」
大物助っ人のシーズン途中での退団は大きなスクープだ。記者として当然、紙面化しなければいけない。堀記者はディアー本人にも確認をとった。
「ファンを傷つけることだけは…」
「本当に記事にしていいの? と聞いたら『構わない。でもタイガースファンを傷つけることだけはしたくない』と言ってました。キャップに相談したら絶対に記事化しろ、と。私は心臓が小さくて、書いて怒られへんかな、誰か困るんちゃうかな、と常に自問自答しているんです。
クヨクヨしながら記事を書いた翌朝、怒られるかな、と思いながら球場に行ったら通訳の方に『まどかちゃん、(ディアーと)よく喋ってたもんな。取材してきた成果やね』と言われてディアーも全く怒っていませんでした。陰でトラ番の先輩が球団フロントにもしっかり説明をしてくれていたので、スムーズに着地できたんです。退団は寂しかったですが、先輩の手助けもあって一番いい形で記事にできたことは、今も心に残っています」