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トム・ホーバスHCも思わず「良い答えデス」…富樫勇樹&馬場雄大が北海道で語った日本バスケが“7年前のあの日”から変わったコト
posted2024/06/25 11:01
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Getty Images
「『スラムダンク』にも負けないようなドラマが日本のバスケ界にはあるんだ」
今から10年前にそんなセリフを発したとして、一体、誰が信じただろうか。だが、時代は変わった。
6月22日と23日に札幌にある「北海きたえーる」というアリーナで、オーストラリア代表との2連戦が行なわれた。試合自体は1分1敗に終わったのだが、“あのとき”と同じ会場で行なわれた試合だったからこそ、夢を語りあった者たちのドラマを思い出さずにはいられない。
「オレたちで日本を変えようぜ!」
まるで幕末の武士のように熱く語り合っていた2人の若者が日本のバスケ界にいたからだ。
2017年2月10日、イラン戦。「北海きたえーる」につめかけた観客はわずか2289人。会場では空席の方が目立っていた。約5カ月前に華々しくBリーグが開幕したばかりで、日本のバスケ界はそれまでにないほど注目を集めていたタイミングだった。
しかし、日本代表だけはカヤの外だった。世間からの期待も注目度も高まっておらず、冬の時代に取り残されていた。しかもこのときは札幌が世界に誇る「さっぽろ雪まつり」の最中で、道外から観戦に来るのであれば一度で二度美味しいタイミングだった。それでもなお、日本国民の興味を引くことはできなかった。
ひるがえって2024年6月23日、オーストラリア戦。
チケットは完売で、6363人がアリーナを埋めつくした。会場がもっと大きければ、さらに多くの観客がつめかけたのは間違いないだろう。バスケの日本代表を取り巻く環境は劇的に変わった。
時計の針を2017年2月に戻して、ドラマの始まりから振り返っていこう。
7年前の代表戦、富樫と馬場の記憶
1人は当時23歳の富樫勇樹で、このときのメンバーの中で2番目に若かった。もう1人は当時21歳で最年少、まだ筑波大の学生だった馬場雄大だ。大学3年でメンバー入りした馬場は、代表デビューを控えていた。
チームが札幌のホテルに着くと、富樫はコンビニへ向かった。それが彼なりの距離を縮めるコミュニケーション方法だったからなのか、翌日の代表デビューのタイミングでメディアから質問攻めに遭うであろう馬場にネタを提供したかったからなのか。いたずらっ子・富樫は、プロ選手としてグミを“大人買い”してきて馬場を困惑させた。馬場は当時、自身のTwitterアカウントでこうつぶやいている。
「これぞ富樫勇樹。全種類買ってきやがった」