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「入学した頃は5、6番手の選手」藤枝東の恩師が語る長谷部誠の“逆ギレ”思春期「うるせぇ!」血気盛んでチームメイトと取っ組み合いも
text by
木本新也Shinya Kimoto
photograph byTakuya Sugiyama
posted2024/06/24 17:00
藤枝東高校時代の長谷部誠(左)と1学年下の山本さん
「昔はもっと攻撃的な選手でした。守備は一切しないですから。スルーパス、ドリブルが大好きっていうイメージしかないですね。ノールックパスもよくやってましたよ。リベロはもちろん、ボランチになることすら想像できなかったです」
プレースタイルは典型的な司令塔。フランス代表MFジネディーヌ・ジダンやポルトガル代表MFマヌエル・ルイ・コスタに憧れ、トリッキーなプレーを好んで体は張らない。バランスを重視して献身的に動くのちのスタイルとは真逆だった。練習では髪が汚れるのが嫌だったのか、ヘディングも全くしなかった。藤枝東には定期的にオランダ人コーチが指導に来ていたが、守備意識が低く、足先でプレーする長谷部の評価は低かったという。
「僕がヘディングで外にクリアしたら『前に返せよ!』と言うので、『その前にお前が戻ってこいよ!』と言い合ってました。サッカーになると感情が出る。勝負にこだわる姿勢はあの頃から強かったです」
思うようにプレーできずイライラして、紅白戦で同じ選手に立て続けにラフプレーをしたこともある。チームメイトから注意されると「うるせぇ!」と逆ギレして取っ組み合いのケンカになり、練習が一時中断する事態に発展するなど血気盛んな一面も見せていた。
飛躍を後押ししたトップ下への抜擢
校舎内の複数の階段を使う雨の日のダッシュでは、監督に見える場所でだけ本気を出した。学校周りを走る長距離走では、スタートで飛び出して中盤以降は歩くのが恒例。コーチ陣や他の部員に見つからないようにショートカットしているとの噂も立った。コーチ陣からはファストフードや炭酸飲料は極力、口にしないよう求められていたが、長谷部は「微炭酸は炭酸じゃない」と独自理論を展開。いつもビタミン炭酸MATCHを飲んでいたことは語り草だ。
イタリア事件に通じる要領の良さを随所で発揮していた高校時代の長谷部だが、2年時の夏から徐々に試合に出始め、冬に初めて県選抜入りを果たす。そこでハンガリー遠征などを経験して自信をつけていった。
ブレークしたのは3年時の高校総体の県大会。1学年下で不動のトップ下だった成岡翔がU-17日本代表の活動で大会直前までチームに合流できなかったため、成岡を2トップの一角に上げ、右MFを務めていた長谷部が司令塔に入った。
この抜擢が飛躍を後押しする。
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