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「痛てーな、この野郎!」長谷部誠の10代は整ってなかった? 浦和の盟友・坪井慶介と福田正博いわく「オフトはあえて厳しく接した」

posted2023/02/22 11:01

 
「痛てーな、この野郎!」長谷部誠の10代は整ってなかった? 浦和の盟友・坪井慶介と福田正博いわく「オフトはあえて厳しく接した」<Number Web> photograph by Hiroki Watanabe/Getty Images

浦和時代、2003年の長谷部誠。プロ2年目で定位置を確保し始めたが、当時のメンタリティーはまだまだ粗削りだったという

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島崎英純

島崎英純Hidezumi Shimazaki

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Hiroki Watanabe/Getty Images

 長谷部誠は22-23シーズン、ブンデス16年目のシーズンを戦っている。39歳となった彼の足跡を浦和レッズ時代から知るライターに、現在と過去の印象的な場面を含めてNumberWebで記してもらった。(全2回の2回目/#1も)

 長谷部誠には良い意味で二面性がある。

 2002年に藤枝東高校からJリーグの浦和レッズへ加入したプロ初年度の長谷部はカップ戦に1試合出場したのみに留まった。当時の浦和を率いていたのは初めて外国人で日本監督職を務めたハンス・オフトで、彼は長谷部の独特な性格を鑑みて、あえて10代の一選手を厳しい環境下に置いた。

僕と長谷部の寮の部屋は確か隣同士だったんですが

 一見すると大人しく従順に見えた当時の長谷部であるが、内面ではオフトの振る舞いに激しく反発していた。まだ若かった彼は指揮官の真意をなかなか汲み取れず、単純に『自分は評価されていない』と感じていたように思える。自己への揺るぎない自信を備える若者にとって、試合に出場できない苦悩は計り知れなかったに違いない。

 一方で、普段の彼は愛嬌のある人物でもある。表向きは寡黙で言葉少なだが、心を開いた者たちにはその実像を隠さない。高卒と大卒の違いで同期ながらも長谷部より4歳年上の坪井慶介氏(現・解説者など)が当時の思い出を語ってくれた。

「僕と長谷部は2002年に浦和に加入した同期で、ふたりともすぐに練習場近くの寮へ入ったんです。僕と長谷部の寮の部屋は確か隣同士だったんですが、長谷部は四六時中僕の部屋にいるか、あるいは自分の部屋に僕のことを呼ぶんです。それで、何をするのかというと、彼が僕に自身の高校時代のサッカーのプレービデオを延々と観せるんです。それで、『このプレー、いいでしょ!』とか、『上手すぎない?』みたいなことをずっと言い続けていた(笑)」

「痛てーな!」と叫ぶと、オフト監督が…

 高卒1年目で、先の見えない職業、その中で叶わない試合出場。当時18歳の長谷部少年は漠然とした不安に駆られていたのかもしれない。それでも彼は自らの実力を疑うことなく、気心の知れた仲間にその本音を吐露していた。再び坪井氏が回顧してくれた。

「僕はプロ初年度からレギュラーに抜擢されて早々にクラブとA契約を交わしたので、試合出場できずにもがいていた長谷部をよく食事に誘っていました。寮の近くのお店に連れて行くと、彼はいつも自身の境遇への不満を言っていたように思います。『なんで試合に出られないんだ!』って。そのときの長谷部は正直、あまり“整っていなかった”ですよね(笑)」

 長谷部の苛立ちは普段の練習態度からも表れていた。

【次ページ】 千載一遇のチャンスでの退場処分に落ち込んだ日

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