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「かなりヤンチャで怪獣みたい」“7番人気の伏兵”エイシンフラッシュが“史上最高メンバー”のダービー制覇…調教助手が忍ばせた2枚の写真
text by
軍土門隼夫Hayao Gundomon
photograph byKiichi Yamamoto
posted2024/05/25 17:00
2010年の日本ダービーを制したエイシンフラッシュ。上がり3ハロン32秒7という破格の末脚を繰り出して力強く差し切った
「3歳になって京成杯を勝ったところで、前の方が厩舎をやめるので僕が担当になりました。馬体に関しては、厩舎の誰もが素晴らしいと評価していましたね。馬はかなりやんちゃで、2歳の頃は怪獣みたいに立ち上がったりしてました」
そうした気性は、エイシンフラッシュの大きな課題の一つだった。
「乗った人は、みんな難しいって言ってましたね。僕が跨るのは、ほぐす程度の運動でしたけど、それでも気に入らないことがあると暴走しそうになったりして。ウチパク君(内田博幸騎手)も、パワーがすごくて抑えるのが大変だって言ってました。レースでも掛かりぐせというか、真面目すぎて力んでしまうところがありましたね」
父のキングズベストも、距離のもたないマイラー種牡馬のイメージが強かった。
「それもあって、厩舎ではこの馬はダービーより皐月賞が勝負だという空気はありました。でも僕は、掛かりぐせさえ出なければ距離は大丈夫だと思っていたんです」
ダービーでも「他のメンバーのことは気にならなかった」
久保に担当が代わったエイシンフラッシュは当初、皐月賞トライアルの若葉Sを目指した。しかし当時トレセンで流行していた鼻肺炎による発熱で直接、皐月賞へ。レース間隔が空いたこともあり11番人気にとどまったが、久保は自信があった。
「皐月賞で3着に入ってダービーの優先出走権(5着以内)を取ったときは、よし、これでダービーはチャンスだ、と思いました。気持ち太めで、緩さもあったんですが、思った通り、レースを使ったことで体が締まって、長距離を走るには理想的なラインになっていきましたね。毛艶も、こっちの顔が鏡みたいに映るんじゃないかというくらい、ピカピカになっていきました」
ダービーが近づくにつれ、世の中の盛り上がりは増していった。しかし話題はヴィクトワールピサの二冠の成否や、次々と登場する新星のことばかり。「史上最強メンバー」に、エイシンフラッシュは実質、ほとんど入っていないようなものだった。
「でも不思議と、他のメンバーのことは気にならなかったですね」
レース当日、久保が内ポケットに忍ばせた写真の1枚は、師と仰ぐ先輩、岩本幸治厩務員のものだった。
【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の「カプセルの中にいたような感覚」“7番人気の伏兵”エイシンフラッシュの戴冠…調教助手が忍ばせた“2枚の写真”とは?<2010日本ダービー秘話>で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。