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スリルと興奮はすさまじいが…流血もあったRIZIN“素手ボクシング”は本当に安全か?「グローブ着用よりもダメージは少ない」という主張も
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph byRIZIN FF Susumu Nagao
posted2024/05/06 17:02
むき出しの拳で殴り合う篠塚辰樹とJ.マルチネス。篠塚が笑みを浮かべる一方で、マルチネスの顔からは流血も見られた
ベアナックル・ファイトの歴史「初期UFCも素手だった」
この一戦は世界で拡大の一途をたどっているアメリカの「ベア・ナックル・ファイティング・チャンピオンシップ」(以下、BKFC)の提供試合として行われた。もともと篠塚はBKFCの北米大会に出場する予定だったが、諸事情で試合が流れたため、その話をスライドさせる形でRIZIN初のベアナックル・ボクシングマッチを実現させたのだ。
BKFC公認以外だと、日本初のベアナックル・ボクシングは、2020年1月19日に元キックボクサーで現在は俳優として活躍する小林さとしが主催する「野良犬祭」で実現している。開催時期は新型コロナウイルスが猛威を振るう直前で、出場選手が無名ということも手伝い大きな話題になることはなかった。
ボクシングに限定しなければ、ベアナックルの歴史はさらにさかのぼり、1992年に総合武道を標榜する大道塾主催のワンマッチ大会『THE WARS』で、日本初のラウェイの試合が組まれている。ラウェイとはムエカッチュアともいわれる、ミャンマーの格闘技だ。バンデージだけを巻いた拳で殴り合うだけではなく、ヒジ、ヒザ、足、さらには頭突きでの攻撃も許されているため、“世界で最も過酷な格闘技”とも呼ばれている。
出場したのはふたりのミャンマー人選手だったが、我々が想像したような激しい打ち合いにはならず、拍子抜けした記憶がある。翌93年にK-1がスタートすると、ラウェイが日本で初めて披露されたという事実は人々の記憶から失われ、歴史に埋もれていった。Wikipediaの「ラウェイ」の項目にも、『THE WARS』で同試合が行われたことは記されていない。
いや、歴史に埋もれたベアナックルの格闘技はラウェイだけにとどまらない。PRO-KARATEDO、全日本格闘技選手権など、素手による顔面殴打を認めた格闘技はほかにもある。埋もれた歴史から学べること──それは公衆の目につくところで、知名度のある選手が出てやらなければ記憶には残りにくいということだ。
ベアナックルといえば、もうひとつ忘れてはならない大会がある。いまや世界最大規模のMMAプロモーションとなったUFCだ。この団体も胎動期にはバンデージも巻かないベアナックルの状態でオクタゴンの中に入っていた。ホイス・グレイシーも、ウェイン・シャムロックも、そして日本人として初めてオクタゴンの中に入った市原海樹も、みな素手で殴り合っていたのだ。