巨人軍と落合博満の3年間BACK NUMBER

「巨人・ガルベスvs中日・山崎武司」最悪の大乱闘…止めたのは42歳落合博満だった「中日のピッチャーに同情したんだよ、オレは」28年前の真相 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/04/28 11:05

「巨人・ガルベスvs中日・山崎武司」最悪の大乱闘…止めたのは42歳落合博満だった「中日のピッチャーに同情したんだよ、オレは」28年前の真相<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1996年5月1日、中日対巨人。ガルベス投手の危険球で中日・山崎武司と大乱闘。真ん中が落合博満(当時42歳)

 長嶋監督は故障離脱だけはさせまいと、5月26日の広島戦で背番号6を強制的に休養させたが、4番を欠いた打線は完封負けを喫し、その存在の大きさを改めて浮き彫りにした。落合は5月29日のヤクルト戦で通算2000試合出場を達成すると、神宮の夜空に9号アーチを打ち上げ自ら華を添えた。4月を借金5で終えたチームは、落合が4番に座った5月は25試合で16勝9敗と大きく勝ち越す。

「若手でも頬がこけるくらいの戦いのなかで、落合は本当によくやっています。実際、今の12球団で“四番”という響きがふさわしく感じられるのは、落合くらいでしょう。松井? いえいえ、存在感においてはまだまだ比べものになりませんよ」(週刊ベースボール1996年6月17日号)

 松井に開幕4番を託した長嶋監督でさえも脱帽した落合の存在価値。これまで週刊誌を通してオレ流批判を繰り返したOBたちは揃って沈黙し、中にはその技術を素直に絶賛する大御所も出てくる。元日本ハム監督の大沢啓二は自身の連載「大沢親分の天下御免!」で、「松井よ、勝負球の読み方は生きたお手本・落合から盗め!」と提言している。

「バッター・落合の非凡なところは、相手投手の配球を読んで、狙い球を絞るのが実にうまいんだ。それも、勝負どころでの。もちろん、技術的にもず抜けたものを持っているけど、オレは、落合が三冠王を3度も獲った最大の要因は何かと問われれば、それは〈読みのうまさ〉だと答えるわな。松井は、そのあたりを大いに見習うべきだと思うんだ。見習うというより、落合から盗んだらいいんだよ。生きたお手本がいるんだから」(週刊宝石1996年6月13日号)

「大ベテラン落合を切る」シナリオ

 6月21日の横浜戦では13号、14号の2打席連発弾。復調した松井の一発と左中間への広告直撃弾を放ったマックとのクリーンナップ揃い踏みで、「ホームランに距離は関係ないよ。10年前のオレだったら、何本も外野の看板に当てていたけどな」と東京ドームを沸かせた。26日のヤクルト戦では勝ち越しの15号特大3ランを含む5打点を上げ、54打点でオマリー(ヤクルト)と並びリーグトップに立つ。史上最年長の打点王も射程圏内にとらえ、1996年の落合は限界説を跳ね返し、恐ろしい勢いで打ちまくった。契約最終年のシーズン前は、松井への4番継承をもって、落合の巨人での役割も終わったという雰囲気すらあったが、それらのストーリーを根本からひっくり返し、42歳にして4番を奪い返してみせたのだ。

 対照的にチームは6月に1点差ゲームに競り負け続け、8勝14敗と再び負け越し。6月末の首位広島との3連戦で3連敗を喫し自力Vが消滅。11ゲーム差をつけられ、優勝はもはや絶望視されていた。こうなると、水面下で来季に向けてチームを根本から作りなおそうとする動きが出る。一部フロントが絵を描いた「今季限りで高年俸の大ベテラン落合を切る」というシナリオである。

 40代になっても、打撃3部門で自らの前年の成績を超えていく。最年長の打率3割を打ち、打点王争いを繰り広げる姿は、まさに超人だった。だが、落合博満の衰え知らずの打撃が、シーズンオフに喧噪をもたらす原因になろうとは、この時はまだ誰も予想だにしなかった――。

<続く>

#38に続く
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