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工藤公康“ソフトバンク2年目”に起きていた事件「監督、あれはマズいですよ」優勝逃した“チームの予兆”「私が間違っていた」名将が泣いた日
posted2024/06/01 11:05
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Yuki Suenaga
2015年から7年間、監督としてソフトバンクを率いた工藤公康。3度のリーグ優勝と5度の⽇本⼀という“黄金期”をなぜ築けたのか? 「私の失敗でした」。監督2年目に起きた“ある事件”とは? 工藤公康がNumberWebインタビューで明かした「プロ野球監督のウラ側」。【全2回の2回目】
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工藤公康氏は選手で実働29年、監督として7年間ユニフォームを着た。選手時代と監督とでは1年の重みの感じ方が全く違ったという。
監督2年目の事件「私の失敗でした」
選手の頃はチームが優勝を逃したとしても「来年こそは」と前を向いて比較的早めに気持ちを切り替えることができた。だが監督は、選手やコーチやスタッフ、そしてその家族も含めた生活や人生を預かる立場だ。自身の契約年数など関係なく、1年1年が勝負だった。
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「勝利への思いも一投一打への執着も、ファンの皆さんからの声援さえも、現役の頃とはまるで感じ方が変わりました」
そのような思いがあるからこそ、監督2年目だった2016年の出来事は決して忘れることがない。
「私の失敗でした」
あの日も、工藤はいつものように球場に早く現れた。選手たちの様子を見ておきたかったからだ。データ確認やファームの試合のチェックなどがなければ、グラウンドでランニングをするのが日課だった。たっぷり汗をかいた頃、早出特打の選手たちが姿を見せ始める。その中に直近の試合で結果が芳しくないと感じていた選手の顔を見つけることができなかったのだ。
工藤はその後、その選手に対して「なんで練習に来ないんだ?」と責めるように言った。ただ、じつはその選手は、試合に向けたケアとコンディショニングを優先し、その時間を自らの準備にあてていたのである。
監督がこんなことを言っていた――選手間でそんな話が回るのはあっという間だ。