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「長谷部誠の引退会見…記者がハンカチで目を」ドイツ人記者と仲間に愛された40歳は“未来の名将”「プロの鑑」「シャビ・アロンソと同様だ」
posted2024/04/29 17:01
text by
フィリップ・セルドーフ/南ドイツ新聞Philipp Selldorf / Süddeutsche Zeitung
photograph by
Takuya Sugiyama
今シーズンかぎりで、長谷部誠の勇姿がピッチ上で観られなくなる。
これはドイツのフットボールファンにとっても、寂しいことだ。彼が第二の故郷と呼ぶ、フランクフルト周辺の人たちだけではない。現在40歳の元日本代表主将は、2008年元日にこの国に降り立ってから、3つの本拠地とたくさんの敵地でこのスポーツを愛する人々に認められてきた。なかには、私たちの国が生んだ競技史上最大のレジェンドのひとりを引き合いに出し、“アジアのベッケンバウアー”と呼ぶ人もいるほどだ。
そんな愛称で親しまれた理由は、両者のポジションの類似性だけでなく、リーダーシップやインテリジェンス、プロフェッショナリズムにも通じるものがあったからだ。
鬼軍曹とブンデス制覇、フランクフルトではEL制覇
長谷部は浦和レッズで日本のクラブが獲得できるすべてのメジャータイトルを手にしたあと、VfLボルフスブルクに加入した。
当時のチームを率いていたのは、フェリックス・マガト──軍隊式のハードトレーニングでフィジカルと規律を高めることで知られた指揮官だ。山や丘でのシャトルランや綱のぼりなどを課せられても、長谷部は小言をこぼしたりせず、粛々と練習に励み、すぐに監督から信頼されるようになった。そして2年目の2008-09シーズン──彼にとって初のフルシーズン──には、中盤やライトバックを務める主力として、クラブ史上唯一のリーグ優勝に貢献している。
ブンデスリーガで最高のスタートを切った長谷部はその後、2013-14シーズン序盤戦にニュルンベルクへ移籍し、翌シーズンにはアイントラハト・フランクフルトを新天地に選んだ。
この10年間、125年の歴史を誇る名門でも、長谷部は常に重要な存在だった。2018年にクラブ史上5度目のDFBポカール、2022年に――同胞である鎌田大地らとともに――同2度目のヨーロッパリーグ(UEFAカップ時代を含む)の優勝に寄与した彼に対し、クラブは感謝の意を表して、こんな提案をした。
「クラブとの契約を延長するかどうかは、マコトの意思次第だ」とフランクフルトのチーフ・スポーツ・オフィサーのマーカス・クレーシュは話した。
「クラブでの進退を自ら決められる選手は、プロフットボールの歴史上、彼が初めてだろう」
契約延長の際、クラブとの駆け引きは全くなかった
ここにいたければ、いつまででもいてほしい──。それは信頼の証にほかならない。選手としての能力はもちろん、人間としてのクオリティーによって、長谷部はそんな存在になったのだ。