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実績は「独立リーグNo.1」でも「調査書は1球団も来なかった」“独立リーグ→台湾プロ野球”へ直行…異色のキャリアの26歳が海外から狙う下剋上
posted2024/04/16 11:00
text by
高木遊Yu Takagi
photograph by
Yu Takagi
海の向こうで開幕したメジャーリーグ(MLB)での日本人選手の活躍が多く報じられるが、台湾プロ野球(CPBL)でも奮闘する日本人選手がいる。
「嬉しかったですね。年齢的(今年で26歳)にも引退を考えていましたから」
こう話すように、諦めかけた野球人生が思わぬ形で繋がったのは、今年から台鋼ホークスでプレーする右腕・小野寺賢人だ。長年願っていた日本最高峰の舞台ではなく台湾最高峰の舞台に活躍の場を移すことになった。
学生時代に思うような活躍ができず、独立リーグでいくら活躍してもドラフト指名に至らなかった右腕はいかにしてチャンスを掴んだのか。
背景には「日本野球」があらためて高く評価されていることも大きい。かねてから日本球界と台湾球界は人材交流が盛んだ。日本のプロ野球では1990年代に郭泰源(西武)と郭源治(中日)、郭李建夫(阪神)らが活躍した記憶が鮮明に残っているファンも多いだろう。また、日本人選手も渡辺久信(現西武GM)らこれまで70人以上が台湾プロ野球でプレーし、1995年には6球団中5球団が故・田宮謙次郎氏ら日本人監督だった時代もあるほどだ。
WBC優勝もあり、台湾野球界で日本人需要増
一時期、日本人選手・指導者は減っていたが、WBC優勝の機運などもあって需要が再び高まっており、今季は古久保健二(元近鉄捕手)と平野恵一(元オリックス、阪神内野手)が楽天桃猿と中信兄弟で監督を務めるなど全6球団に日本人指導者が在籍。選手はNPBで活躍した笠原祥太郎(DeNA→台鋼ホークス)だけでなく、日本の独立リーグであるルートインBCリーグから小野寺と鈴木駿輔(信濃グランセローズ→台湾楽天)の両右腕が海を渡った。
また、笠原と小野寺を獲得した台鋼ホークスは昨年11月下旬に日本人選手向けのトライアウトも実施。最終的にここでの獲得者はいなかったが、NPB球団のスカウトによると、「台湾プロ野球関係者から“日本の独立リーグに良い選手はいないか?”という問い合わせは時折ある」と話すほど、日本人選手、特に投手の需要は高まっている。