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「大谷翔平のインタビュー調整も」「口堅く“出す情報”コントロール」水原一平に託されていた“本当の仕事”…異変はいつ起きていたのか
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNanae Suzuki
posted2024/03/24 17:03
3月のオープン戦で。ドジャース大谷翔平と水原一平氏
「口の堅さ」で信頼…超多忙だった仕事内容
大谷との“唯一無二”の関係性において、その信頼を勝ち取った大きな要因の一つが「口の堅さ」だったように思う。メジャー移籍後から、水原通訳は大谷翔平というスーパースターの「マネージャー兼広報」としての役割も担っていた。メディアとの日々のやりとりから、インタビューや撮影などの取材依頼への対応、スポンサー関連の仕事の日程調整などを一手に引き受けていた。メディアに対し取材対応の段取りをしたり、必要な情報を提供したりと手綱を上手くさばきつつ、知られたくない情報についてはどんな些細なヒントも与えないという姿勢は一貫していた。
怪我や手術の詳細、毎年のように騒がれていた契約問題、ドジャースへの大型移籍、そして結婚……メジャー生活の節目において、メディア報道が先行することなく、情報統制できていたことは水原通訳の力も大きいだろう。番記者には毎日顔を合わせる気安さから、選手の関係者は、思わず愚痴を言ったり雑談の中で選手のプライベートな部分を仄めかしてしまうものだが、そこで完璧に線を引いてきたことがミステリアスなスーパースターの私生活を守っていたとも言える。
「水原通訳頼み」の実情
一方で大谷と外部との窓口が、水原通訳“だけ”に集約されていたことも事実だろう。ありとあらゆる情報を一手に引き受けていたということは、裏を返せば大谷に伝える情報もコントロールできる立場にあったと言える。記者会見で水原氏はよく、大谷の言葉を一言一句違わず直訳するのではなく、米メディアに馴染む表現に換える当意即妙な通訳を見せていた。これも逆に言えば大谷に「伝える」言葉と「伝えない」言葉を選別できたということに……。難解な契約書の詳細や、金融機関での取引の場面ならなおさら、全てが水原通訳頼みだったに違いない。
水原氏のいない第2戦の試合後、ロッカールームの大谷は不思議な空気を纏っていた。山本由伸の通訳である園田芳大氏が手を貸し、隣のロッカーのテオスカー・ヘルナンデスが何やら声をかける。さらに約35人の報道陣が二重になって取り囲む真ん中で、事件の主役は泰然と帰り支度を進めた。黒いキャップを被りリュックを背負うと、濡れた前髪の間から目をのぞかせ記者たちに「お疲れ様でした」と声をかけロッカーから去る。その口元にわずかに浮かんだ笑みは、どこかニヒルさをも感じさせるものだった。