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プロ野球PRESSBACK NUMBER
清原和博の外れ1位“あるプロ野球選手”の後悔「毎日飲み歩いて…戦力外を待つだけ」野茂英雄の登場で“忘れられた”あのドラ1は今
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byNaoya Sanuki
posted2024/02/29 11:00
清原和博の外れ1位でプロ入りした選手が明かす後悔とは(写真はイメージ)
「それが普通だったね。プロになったんだから当たり前。そこから這い上がった選手を使うという考え方だったと思う。今の選手は酒もたばこもやらずに練習熱心だと聞くけど、『昔は酒もたばこも遊びもやって、それで活躍してこそプロ』という共通認識があったね」
当時の選手の9割が喫煙者だった。
「のちのち、桑田が巨人で『喫煙者と非喫煙者のバスを分けてくれ』と球団に直訴して話題になったけど、そんなことを思いつきもしなかった(笑)。俺もたばこを吸わなかったけど」
栗橋茂、金村義明…濃すぎるメンバー
寮でも遠征先でも、選手はもちろん、監督、コーチも門限をまったく気にしていなかったという。
「1987年のシーズンオフに仰木彬さんが監督になってからは特に、そういう小さなことを気にする人はいなかったんじゃないかな。その代わり、グラウンドで結果を残せない選手は取り残されるというシビアさがあった」
梨田昌孝、羽田耕一、栗橋茂などのベテランのほか、野手には大石大二郎、金村義明、村上隆行がいた。
「一般的な意味で、“仲良し”という存在はいなかった。レギュラーの人たちは特にそうで、それぞれが勝手に動く。まとまるのは試合の時だけじゃないかな」
阿波野、野茂のウラで…忘れられたドラ1
1986年ドラフト会議を経て、亜細亜大学のサウスポー、阿波野秀幸がドラフト1位で近鉄に入団。その阿波野が1年目に15勝、2年目の1988年に「10・19決戦」で涙を飲むも、翌1989年に19勝を挙げ、9年ぶりのリーグ優勝を手繰り寄せた。そして、その秋のドラフト会議で、あの男もチームに加わった。8球団が競合した末に近鉄入りした野茂英雄である。
「阿波野さんは体こそ細かったけど、ボールが素晴らしかった。野茂のピッチングを初めて見た時、『1年目から15勝はするやろね』と思ったけど、実際には遥かに上回ったね(18勝で最多勝、防御率2.91で最優秀防御率、MVP、新人王などを獲得)」
大学卒の阿波野、社会人野球を経て入団した野茂。2年連続で鮮烈な印象を残した2人の“ドラフト1位”にファンは熱狂した。同時に、かつてのドライチ、桧山に期待する者はいなくなった。