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プロ野球PRESSBACK NUMBER
清原和博の外れ1位“あるプロ野球選手”の後悔「毎日飲み歩いて…戦力外を待つだけ」野茂英雄の登場で“忘れられた”あのドラ1は今
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph byNaoya Sanuki
posted2024/02/29 11:00
清原和博の外れ1位でプロ入りした選手が明かす後悔とは(写真はイメージ)
「気が強い人間はコーチに好かれません。言いたいことを言う、やりたいことをする、そして、よく遊ぶ選手は……。まあ、全部私のことです(笑)。練習は真面目にやりました。ちゃんと走る。でも、夜に寮を抜け出して遊びに行くと、すぐにばれる。そうすると、監督やコーチに『なんだ、あいつは』と言われてしまう。何か言われたら、『ちゃんと練習してるからいいじゃないですか』と答える……嫌われますよね」
二軍選手の“生殺与奪”は二軍監督とコーチが握っている。実績のない選手が発言してもなかなか受け入れてもらえないし、移籍の自由もない。監督やコーチからすれば「文句を言ってないで、黙ってやれ」ということだろう。
首脳陣と選手の関係について、桧山も「実力のある選手、二軍の監督やコーチが一軍に送り込みたい選手を中心にローテーションも組まれる。試合を経験する有望株と、出番に恵まれずにくすぶるやつでは差がついてくる」と言う。
24歳で日本球界を引退
桧山は1991年限りで近鉄を退団。1勝も挙げられずに24歳で日本球界を去った。のち、韓国プロ野球で再起を目指すも、そこでも活躍できずに終わった。
「近鉄の投手層が厚かったのは確かだけど、そのチームでクビになったらもうダメでしょう。トライアウトを受けても、アメリカの独立リーグに行っても、また一軍でプレイできる確率は相当低い。まあ自分の場合は、野球に対する気持ちも落ちていたから、見切りも早かった。ただね、こうも思う。もうプロ野球選手として限界だと思ったら、1年でも、一日でも早く社会人になって、次の仕事を探したほうがいい。引退してからの人生のほうが長いんだから。年齢を重ねれば重ねるだけ、仕事を見つけるのが難しくなっていくからね。今振り返ってみて、心からそう思うよ」
プロ野球で二軍生活が長かった桧山に蓄えはなかった。韓国から帰国後、衣料品会社で働きながら、「次」を考え始めた。
「高卒の俺が狙えるのは……」
桧山はある決断を下した――。
〈つづく〉