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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「プロ野球時代の年俸は超えた」桑田・清原の同期ドラ1が語る“勉強しない高校生”の行く末…会社員でも飲食店でもない“プロ0勝右腕”の再起
posted2024/02/29 11:01
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Masato Daito
あの桑田真澄と清原和博の指名をめぐって紛糾した1985年ドラフト会議。指名が重複した清原の「外れ1位」で、ひっそりと近鉄バファローズに入団した男がいた。桧山泰浩である。翌86年のドラフト1位・阿波野秀幸、89年の野茂英雄が鮮烈な印象を残す中、自分に期待する声は消えていき……。“忘れられた”ドラ1、桧山が半生を語った。〈全2回の2回目〉
近鉄のドラフト1位、桧山泰浩は1勝もできずに球界を去った。野球とは関係のない衣料品会社で働きながら、「次」を考え始めた。
「プロ野球選手の引退後の仕事というと、飲食業が多いけど、自分には合いそうもない。180度違う世界はないかと考えた時に、浮かんだのが資格士業。司法書士、弁護士、税理士、公認会計士……と探していく中で、高卒の俺が狙えるのは司法書士だった」
29歳で“合格率3%”の司法書士に…
桧山は2度目の挑戦で合格を果たした。29歳の秋だった。
「『合格するまで大変だった?』と聞かれるけど、実際はそれほど苦労した思い出もなくてね。初めて受けた時も、まあまあいい線までいっていたから。このまま勉強を続けていけば合格できると思っていた」
桧山が司法書士になれたのは、学ぶための基礎があり、学習の方法を知っていた点が大きい。中学時代に偏差値70、福岡の進学校・東筑に進んだ頭脳がここで活きたのだ。
「勉強は、やればやるだけ結果が出る。中学、高校時代と試験前に猛烈に勉強した経験があったから、コツのようなものがわかっていたし」
合格率3パーセントほどと言われる難関の試験を突破し、司法書士として福岡に事務所を構えて27年が経つ。
「自分で事務所を開いた1年目から、プロ野球時代の年俸は超えたよ」
「勉強しなかった選手」の行く末
司法書士として足場を固めた桧山には、離れたからこそ「野球界」の課題が見える。まずは、プロ野球選手のセカンドキャリアの難しさについて。桧山は、かつて珍しくなかった“有望選手に勉強させない”高校、大学に原因があったという。