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プロ野球PRESSBACK NUMBER
清原和博の外れ1位“あるプロ野球選手”の後悔「毎日飲み歩いて…戦力外を待つだけ」野茂英雄の登場で“忘れられた”あのドラ1は今
posted2024/02/29 11:00
text by
元永知宏Tomohiro Motonaga
photograph by
Naoya Sanuki
文武両道で知られる福岡の進学校、東筑のエースとして1985年春のセンバツに出場した桧山泰浩。プロ7年間で1勝もできずにユニフォームを脱いだ彼は、29歳で司法書士の資格を取った。法律職として活躍する、プロ野球OBとしては珍しい存在だ。
「ドラフトで指名されたのが39年も前、引退してから30年以上経った。春季キャンプに行ったり、近鉄OBや同期の桑田真澄と会ったりするけど、基本的にはプロ野球とはまったく関係ないところにいます」
桧山はそう語る。
清原の「外れ1位」で近鉄へ
1985年11月20日に行われたドラフト会議の主役は、その夏の甲子園で優勝を飾ったPL学園のふたり、エースの桑田真澄と4番打者の清原和博だった。早稲田大への進学を表明していた桑田を読売ジャイアンツが1位で指名し、6球団から指名された清原を西武ライオンズが抽選で引き当てたあの秋。「KKドラフト事件」の最中、清原の「外れ1位」でひっそりと近鉄バファローズに入団したのが桧山だった。
「俺たちの時代、18歳だからと言って特別扱いされることはまったくなかった。むしろ、『若いんだから文句言わずに投げろ』と言われたね。今の高卒ルーキーみたいに『はじめは体づくりから』という発想は誰にもなかった」
1979年、1980年にパ・リーグ連覇を果たした近鉄だが、鈴木啓示や井本隆など主力投手が引退。世代交代の時を迎えていた。
「先発陣は村田辰美さん、小野和義さん、佐々木修さん、抑えに石本貴昭さんという顔触れ。若手には3歳上の加藤哲郎さん、2歳上の吉井理人さんがいた」
当時のプロ野球「ほとんど喫煙者」
もちろん、新人投手にはプロの猛者たちと同じ練習メニューが課せられた。