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「自分たちは野球をやっていいのだろうか」被災地ゆえの苦悩も…《センバツ決定》能登地震で被害の日本航空石川「甲子園で伝えたい“一生懸命”」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/01/28 06:01

「自分たちは野球をやっていいのだろうか」被災地ゆえの苦悩も…《センバツ決定》能登地震で被害の日本航空石川「甲子園で伝えたい“一生懸命”」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

輪島市内で被災した航空石川高の福森誠也投手。センバツ決定の報を受けて涙する場面も

「本当に色々な方から支援をしていただいて。山梨の日本航空高校さんをはじめ、本当に感謝しかないです」(中村監督)

 数々の支援物資は、中村監督の母校である明大をはじめ、親交のある高校、関係者だけでなく、かつて災害に見舞われた経験のある学校の監督からのものもあった。

「上田西高の吉崎(琢朗)監督は、すぐにボールを送ってくださいました。上田の方も数年前に水害がありましたし、他人事ではないと思っていただいたようです。盛岡大附の関口(清治)監督からもご連絡をいただき、ボールを送ってくださって……。

 関口監督とはそこまで親交が深い訳ではないんですけれど、今回の被害の大きさを見て、即座に連絡してくださったんです。東日本大震災で辛い思いをされたからこういった痛みを分かっておられるのかと。思い立って、すぐに行動に移せるって素晴らしいですよね。自分もそういう気持ちを強く持ち続けながら、できることをしていかなければと思いました」

「自分たちは野球をやっていていいのだろうか」

 数え切れないほどの支援に感謝をしつつ、指揮官にはどこか後ろめたい気持ちもあった。

「家が倒壊したり津波で流されたりして、生活もままならない人が今でもたくさんいる。なのに、自分たちは野球をやっていていいのだろうかと。それは常に思います」

 中村監督は同じ輪島市内の中心部にある県立輪島高校の冨永諒一監督と長年の付き合いがある。普段は互いに行き来し、バッティングについて深夜まで語り合う間柄だ。だが、大きな被害を受けた輪島高校は現在避難所となっており、最近授業を少しずつ再開したばかり。野球の練習どころではない状況であることは聞いていた。

 それなのに自分たちは――。

 山梨で練習を進めていく中で、そう思うとふと手が止まってしまうこともあった。だが、冨永監督から受けた言葉が今も胸に残る。

【次ページ】 注目にも…「自分たちが凄いことをしたわけじゃない」

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