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「自分たちは野球をやっていいのだろうか」被災地ゆえの苦悩も…《センバツ決定》能登地震で被害の日本航空石川「甲子園で伝えたい“一生懸命”」 

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沢井史

沢井史Fumi Sawai

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/01/28 06:01

「自分たちは野球をやっていいのだろうか」被災地ゆえの苦悩も…《センバツ決定》能登地震で被害の日本航空石川「甲子園で伝えたい“一生懸命”」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

輪島市内で被災した航空石川高の福森誠也投手。センバツ決定の報を受けて涙する場面も

「自分たちは野球どころではないけれど、航空石川は野球ができる環境があるならば、思い切ってプレーしてくれと。震災モードで遠慮していても被災している現地の人は嬉しくない。思い切って元気にやってくれる方がこっちも励みになると。そう言っていただいて……グッとくるものがありました」

 最初に集合をかけた15日に集まった選手たちは9人。強制はせず、集まれる者から順次集合することを周知。施設の関係で部員全員を集合させることはできなかったが、21日までに32人が揃った。

 その中には輪島市内で被災し避難所にいた福森誠也、石川智規も含まれていた。

注目にも…「自分たちが凄いことをしたわけじゃない」

 19日に揃った選手らだけで地震後、初めて全体練習を行った際は、増穂商業グラウンドには多くのマスコミが集まった。テレビカメラが軽快に動く選手たちを追いかける。そしてマイクを向けられ、色んな感想を述べる。

 その中で、中村監督にはどうしても引っかかることがあった。

「テレビでインタビューされたり、カメラに映されれば高校生だし嫌な気はしないですよね。でも時に選手たちが浮かれたような表情を見せた時があって」

 その後、中村監督は選手たちに厳しく言い放ったことがあった。

「自分たちが何か凄いことをして、これだけ(マスコミが)集まっているんじゃない。こういう状況の中だから取り上げてもらっている。そこを勘違いしたらいけないと言いました」

 今回のセンバツでは、日本航空石川は“被災した県からの代表校”という注目が集まる。だが、選手全員が被災者という訳ではない。自分たちはどうあるべきか、指揮官は苦悩していた。

【次ページ】 能登の現状を理解したうえでの“一生懸命”の意味

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