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中村憲剛、内田篤人とS級受講…コーチ業10年で悲願「監督・北嶋秀朗」をつくった5人の指導者とは?「亀仙人と鶴山人から学べたのは僕だけ」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byCriacao
posted2024/01/19 17:02
今季からJFL・クリアソン新宿のコーチから監督に昇格した北嶋秀朗(45歳)。
もともと北嶋は、J2のロアッソ熊本で現役引退を決めた13年夏の時点では指導者になるつもりはなかった。
その選択肢が浮かんだのは、10月に引退会見を終えた直後のことだという。
「ボールを蹴る音から離れてしまうことが、寂しくなったんですよね。やっぱりサッカーが好きで、これだけサッカーを大事にしてきたんだから、サッカーの世界で恩返しがしたいなって」
指導者が絶対に超えてはならない一線
翌14年、熊本のアシスタントコーチ兼アカデミースタッフとして指導者の道を歩み始めた北嶋が最初に影響を受けた指導者は、トップチームの監督だった小野剛である。
日本代表が初めてワールドカップに出場した1998年フランス大会で岡田武史監督を支えた小野はその後、サンフレッチェ広島の監督や日本サッカー協会の技術委員長を歴任した。
「剛さんからはいろんな話を聞かせてもらったんですけど、特に肝に銘じているのは、コーチと選手の距離の話ですね。『コーチと選手の間には川があって、これは絶対に渡ってはならない川なんだ』と。川を渡って選手に寄り添えば人気は得られるかもしれないけれど、本当の意味での信頼は得られない。川岸ぎりぎりから手を差し伸べて支えてあげるのがいいコーチなんじゃないか、と言われました」
コーチは監督を支える立場であり、選手たちにとって兄貴的存在であることも求められる。
ときに監督と選手の間に入り、選手の悩みを聞いたり、アドバイスすることは大事だが、しかし、絶対に越えてはならない一線が存在する――そう小野は説いたわけだ。
熊本で2シーズンを過ごした北嶋は16年、J1のアルビレックス新潟のコーチに就任する。現役時代から“サッカーの師匠”として慕っていた吉田達磨から「一緒にやらないか」と誘われたのだ。
「タツさんのサッカーのメカニズムをもっと深く知りたかったし、タツさんの力になりたかったので、ふたつ返事で行きました。一流のトレーニングに関わることができたし、タツさんのサッカーに対する愛情や情熱に改めて触れることができた。最後は残念でしたけど、すごくいい経験になりましたね」
シーズン終盤に吉田が解任されてしまったことで、新潟でのチャレンジは志半ばで終わったが、17年から熊本のコーチに復帰した北嶋を、さらに刺激的な日々が待っていた。
インパクトを与えてくれた人物は、アパートの隣の部屋に住んでいた。