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中村憲剛、内田篤人とS級受講…コーチ業10年で悲願「監督・北嶋秀朗」をつくった5人の指導者とは?「亀仙人と鶴山人から学べたのは僕だけ」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byCriacao
posted2024/01/19 17:02
今季からJFL・クリアソン新宿のコーチから監督に昇格した北嶋秀朗(45歳)。
23年シーズンにクリアソン新宿でともに戦った成山一郎監督も、北嶋を成長させてくれた指導者である。
「ナリさんは生き方そのものがすごくカッコ良くて。ナリさんの言葉で僕が一番好きなのは、『自分の態度は自分で決められる』っていう言葉。ナリさんがよく読む本は『夜と霧』で、第二次世界大戦中、ナチスによって強制収容所に送られた体験記なんです。身ぐるみを剥がされて、このパンを自分が食べるか、苦しんでいる人にあげられるか、それは自分が決められるっていう究極の話をナリさんはするんですけど、それって利他じゃないですか。自分はどうするのかっていうことを、ナリさんからは常に問われている気がします」
18年からクリアソン新宿を率いてきた成山は新シーズン、北嶋に監督の座を譲り、自身はコーチとして北嶋をサポートするという。
「僕がこの1年そうだったように、ナリさんにもS級を受けに行ってほしいんですけどね。ナリさんは『覚悟を持って監督を引き受けてくれた北嶋さんと時間をともにできなくなるので、受けません』みたいなことを言う。ナリさんも絶対にS級を取りたいはずなんですけど、すごく利他的で。男気があって、頑固なんですけど、柔らかくもある。底が見えない人です」
12月は海外研修へ、なぜシドニーを選んだ?
23年4月に始まったS級コーチ養成講習会のカリキュラムを終えた北嶋は、12月半ばに海外クラブでの研修に旅立った。
向かった先はヨーロッパのクラブではなく、シドニーFCである。
それにしてもなぜ、オーストラリアなのか――。
「今、(アンジェ)ポステコグルーさんとか、(ケヴィン)マスカットさんとか、オーストラリアからいい監督が出てきている。その理由はなんなのかなっていうのが始まりで、オーストラリアに興味が出てきて。それに自分も将来、海外で監督をやりたくなったとき、オーストラリアやアジア圏は可能性があるかもしれない。だから、タイのブリーラムに行って石井(正忠)さんのもとで研修させてもらうことも考えていたんです。そうしたら8月に石井さんがタイ代表のテクニカルダイレクター(現在は監督)になったので、オーストラリアにしたんです」
12月30日に帰国した北嶋はしばしの休暇をとったのちに新シーズンの準備に着手し、いよいよ1月21日からクリアソン新宿の新監督として始動する。
コーチとして10年を過ごし、23年には天皇杯で実質的な指揮を執った経験もあるが、それでも監督としての自分を具体的にイメージすることはできていない。
「正直、未知すぎて、自分がどんな監督になるのか想像がつかなくて。新しい自分に出会えるのはすごく楽しみなんですけど、ショボかったら悲しいな(苦笑)。ショボかったときと、偉大だったときの両方の準備をしておこうと思います」
目を輝かせながら冗談めかしたが、その未知の部分こそが、“北嶋秀朗監督”のポテンシャルであり、可能性だと言えるだろう。
マグマのような情熱を宿しながら冷静な観察眼を持ち、いい意味での利己と利他の両方の精神を兼ね備える北嶋は、クリアソン新宿を率いてJFL優勝とJ3昇格に挑む。
北嶋 秀朗 Hideaki Kitajima
1978年5月23日、千葉県出身。市立船橋高時代に全国高校サッカー選手権大会で2度の優勝に貢献。75回大会では得点王に輝いた。高校卒業後の1997年に柏レイソルへ加入、キャリアハイの18得点を挙げた2000年には日本代表初選出。柏のほか、清水エスパルスやロアッソ熊本でプレーし、2013年に現役引退。熊本、新潟、大宮で指導者として活動し、2023年にコーチとしてJFLクリアソン新宿に加入。24年より監督に昇格した。Jリーグ通算303試合出場、73得点
〈全3回・完〉