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中村憲剛、内田篤人とS級受講…コーチ業10年で悲願「監督・北嶋秀朗」をつくった5人の指導者とは?「亀仙人と鶴山人から学べたのは僕だけ」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byCriacao
posted2024/01/19 17:02
今季からJFL・クリアソン新宿のコーチから監督に昇格した北嶋秀朗(45歳)。
「ロアッソがアパートを借りてくれて、そこに育成ダイレクター兼ユース総監督の菅澤大我さんも住んでいたんです。大我さんとは毎日一緒にご飯を食べていて、サッカーの話をしました。このときの守備の仕方はこうだとか、ものすごく細かい話を聞かせてもらって、濃密な時間でしたね。守備の理論に関しては、僕は大我さんの影響をすごく受けています」
菅澤は長らく東京ヴェルディのジュニアやジュニアユースで監督やコーチを務め、森本貴幸や小林祐希、高木善朗らを育成。その後、名古屋グランパスエイト、京都サンガF.C.、ジェフユナイテッド千葉などの育成畑を渡り歩いた指導者である。
「達磨さんと大我さんって仲がいいんですけど、僕の中では彼らは亀仙人と鶴仙人。流派は違うけど、育成のスペシャリストでサッカーへの探究心がすごい。この2人からエッセンスを学んだのは僕だけじゃないかと思っているので、それは自慢です(笑)。彼らから学んだことを、これからどう表現していくか」
秀逸だった霜田正浩の言語化能力
20年から22年まで過ごした大宮アルディージャ時代にも、忘れられない出会いがあった。かつて日本サッカー協会技術委員長を務め、21年6月からアルディージャの監督に就任した霜田正浩だ。
「それまで僕はコーチだったんですけど、シモさんが監督になって『キタジの力が必要だから、一緒にやろう』ってヘッドコーチに引き上げてくれて、役割と責任を与えてくれたんです。試合が終わってからも『キタジ、一緒に試合を振り返ろうよ』って誘われて、夜中の3時ごろまで2人で映像を見返しながら、ああでもない、こうでもないって振り返って」
サッカー談義を繰り返し、コーチである北嶋の意見を取り入れてくれることも少なくなかったが、北嶋が感じた霜田の魅力はそれだけではない。
「プレーだとか、事象だとかに名前を付けるのが秀逸なんですよ。大枠のところを言語化するのがすごくうまくて、それによって選手たちは共通理解が進んだり、イメージしやすくなるんですよね。そういうのは僕も今、クリアソンに持ち込んでいます」