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井上尚弥が「負けたかと思った」“ダウン経験ゼロ”井上がまさかのスリップダウンした日「こいつ、ヤバいらしいぞ…」高校時代のライバルが語る
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byAFLO
posted2023/12/28 17:45
2010年7月、当時高2・17歳だった井上尚弥(沖縄総体で)
そんな周囲の声を聞いても、亮明は一切気にしなかった。積極的に前へ出てワン・ツーを放つ。左ストレートを伸ばす。殺気立った、プロのように倒しにいく試合。尚弥は回転が速く、上下に打ち分けてくる。亮明は知らぬうちにパンチを食らっていた。15ポイント差の3回RSC負け。誰が見ても完敗。ところが、当の本人は不思議な感覚を覚えた。
「俺、負けたの? 結構いい試合したんじゃない? もしかしたら勝てるかも」
勘違いかもしれないが、あの「やばいらしい」選手と渡り合えた。すると試合後、斉が駆け寄ってきた。
「頑張ったらチャンピオンになれるぞ」
初めて父から励まされた。やはり、リング上の感覚は間違っていなかったのだ。いずれ勝てる。乗り越えるべき対象として尚弥を意識した瞬間だった。
大会後、多くの人が階級変更を勧めてきた。尚弥を避ければ「冠」はとれると言われた。亮明は即座に首を横に振った。
「井上に負けたままでは嫌なんで」
もう尚弥しか目に入っていなかった。鼻っ柱の強いボクサーの執着心。ほどかれそうになって、糸はむしろ強く絡みついた。
井上尚弥がスリップダウンした日
高校2年の沖縄インターハイは2回戦で激突した。尚弥と対戦する相手はみんな腰が引けてしまう。だが、亮明に恐怖心はない。前へ出た。2-6のポイント負け。差は縮まっている。背中が見えてきた。
中京高での練習でつらいときには「井上だぞ! 井上を意識しろよ」と声が飛んだ。指導するのは元東洋太平洋王者で、当時ボクシング部監督の石原英康だった。基本を重視し、ワン・ツーを繰り返す。石原は亮明の左ストレートを高く評価していた。
「パンチングパワーでは尚弥君より上。破壊力というより殺傷力に近くて、一発当たると相手が萎縮する。それで尚弥君との差は埋められると思っていた」
3度目の闘いは高校2年の千葉国体。決勝の反対コーナーには宿敵が立っていた。このときの作戦は明確だった。
「左ストレートを中心に、井上の右が来たら、相打ち覚悟で左のボディを打とう」
これが的中する。亮明の左が当たり、尚弥のあごが珍しく跳ね上がった。ボディも入る。左ストレートがかすめ、尚弥が足を滑らせた。どんなときでも表情を崩さない亮明がガッツポーズをする。場内が沸いた。これは惜しくもスリップダウン。
「よし、いける。勝てるぞ!」
石原が叫んだ。斉も身を乗り出す。会場全体の雰囲気が変わってきた。最終回。亮明が放った渾身の左ボディアッパー。捉えた。感触があった。だが、審判からローブローの反則とみなされ、6-6から2点減点。4-6の僅差で敗れた。
その後の表彰式。3度目の対戦にして、初めて尚弥が話しかけてきた。
「今回ちょっと負けたかと思ったよ」
<続く>