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「怪物さえいなければ…」井上尚弥に4回負けた男の告白「井上は頭もいいし、顔もいい」井上家のライバルだった“ヤバい兄弟”が語る
posted2023/12/28 17:46
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph by
AFLO
<初出:Number990号2019年11月14日発売:肩書は当時のもの>
◆◆◆
<高校時代から怪物は別格の強さだった。その井上尚弥と誰よりも多く戦ってきた兄・田中亮明。同じ世界王者として今もライバル心を燃やす弟・恒成。拳を通じて彼らの胸の内に刻まれたものとは――。>
「井上尚弥が初めて話しかけてきた」
井上尚弥との3度目の対戦。4-6の僅差で敗れた亮明。
その後の表彰式。初めて尚弥が話しかけてきた。
「今回ちょっと負けたかと思ったよ」
「…………」
何も答えない。悔しすぎて言葉が出なかったのか、高校生なりの意地とプライドだったのか、自分でも分からなかった。亮明は黙ったままだった。
高校3年の秋田インターハイ。亮明は集大成と位置づけていた。互いに勝ち上がり、決勝で4度目の対決を迎える。しかし、結果は意外にも一方的だった。2-12。ライバルの背中が見え、後ろ髪をつかんだと思ったら、また引き離された。
「試合中やられているなと分かった。2年生まではぎりぎりの闘いで、いけると思っていた。でも、この試合は途中で『俺も頑張ってきたけどまだ駄目なのか。強いわ』と思っちゃった。ショックでしたね」
初めて「負け」を認め、納得した。
監督の石原英康は尚弥の闘い方に感心したという。3戦目と全く動きが違ったからだ。かといって、それは亮明対策でもなかった。
「しっかり打って、しっかり守る。しっかり動く。余分なものをそぎ落として、シンプルな作業を究極まで高めていこうという意図が感じられました。きっと今も同じことを濃密に繰り返しているんだと思う。それを元手にして試合では自由気ままに、思うままに動いているんじゃないかな」
2カ月後の山口国体で、亮明は初めて頂点に立った。尚弥は世界選手権に出場し、そこにいなかった。やはり怪物さえいなければ、亮明はトップだったのだ。
「素直にめちゃめちゃうれしかった。井上はいなかったけど、僕は(井上から)逃げて一番になったわけではない」
亮明の高校生活が終わった。
「審判の採点もそういう感じがした」
兄同士が最後の対戦に臨む2日前、さらなる2本の糸が絡み合った。1年生で入ってきた弟の恒成(岐阜・中京高)と尚弥の弟・拓真(神奈川・綾瀬西高)。この2人も同じ階級だった。