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「AI将棋に初めて負けた名棋士」米長邦雄69歳“弱音と本音の最期”死の4カ月前、抗ガン剤での剃髪姿となり「仏の道に近づいて…」 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKyodo News

posted2023/12/18 11:01

「AI将棋に初めて負けた名棋士」米長邦雄69歳“弱音と本音の最期”死の4カ月前、抗ガン剤での剃髪姿となり「仏の道に近づいて…」<Number Web> photograph by Kyodo News

2012年、「ボンクラーズ」との対局後の米長邦雄会長

 2012年6月の将棋連盟の通常総会で、一部の棋士が辛辣に批判すると、米長は色をなして反論した。自分が会長をやめるか、当の棋士がやめるかと迫ったこともある。私は、本来の米長ならば——もっとスマートに対応したはずだと、もどかしさを覚えた。また、連盟事務局の中でソリが合わない職員を、人事面で排除するような強権的な面があった。

 米長は68歳だった2011年の秋「ナベツネさんの年齢(読売新聞グループ本社会長の渡辺恒雄=当時85歳)まで会長を続ける」と宣言。将棋を義務教育に導入するために、あと17年間は頑張るつもりだった。

「来年、桜を果たして見られるのだろうか…」

 ただ――明子夫人の話によると、米長は2012年3月頃に一気に衰えたという。電王戦で消耗したことも一因だったようだ。

「俺は来年、桜を果たして見られるのだろうか……」

 と、弱音を吐いた。同年6月からは自宅で療養生活を送った。専務理事の谷川浩司九段らの理事に自宅に来てもらい、応接間で理事会を3回ほど開いた。やがて、谷川専務が会長職を代行することになった。

 私こと田丸は、同年7月上旬に東京・中野区鷺宮の米長の自宅を訪れた。米長が『週刊現代』で連載していた「名勝負今昔物語」という、1人の棋士を公私にわたって紹介する随筆にあたって取材した。

 私と兄弟子の米長との付き合いは45年ほどになるが、2人で向き合って話したのは、覚えがないほど久しぶりだった。当初は少し緊張したが、くつろいだ気分になるといろいろな記憶が蘇ってくる。青年時代の思い出、棋士人生のエピソード、最も印象に残った対局などを語った。

 米長は血色が良くて元気な様子だった。帰りがけに「そうだ。田丸くんに話があるんだけど、またの機会にしようか……」と言われたが、結局、その話は聞けずじまいとなり、私が見た米長の最後の姿となった。

「坊主頭を一度やってみたかったけど…」

 米長は自宅に神棚を置き、朝に起きると痛みが出ないように祈った。骨に転移すると痛みが出るそうだが、幸いにも安らかに過ごせたという。家族や親族は毎日のように訪れ、突然に来た一門の三浦弘行八段は「米長先生と2人っきりにさせてください」と言って、何かのことで話し込んだ。

【次ページ】 人生はなるようにしかならないのだと達観しております

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