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将棋PRESSBACK NUMBER
「AI将棋に初めて負けた名棋士」米長邦雄69歳“弱音と本音の最期”死の4カ月前、抗ガン剤での剃髪姿となり「仏の道に近づいて…」
text by
田丸昇Noboru Tamaru
photograph byKyodo News
posted2023/12/18 11:01
2012年、「ボンクラーズ」との対局後の米長邦雄会長
弟子の中村には「将棋界を良くしたい。そのためには……」と熱く語り、改革に意欲を燃やした。将棋連盟の谷川専務には「来てくれてありがとう」と語った。
米長は17日まで特に変わった様子はなかった。明子夫人が18日の未明に自宅に戻ると、病院から危篤の知らせが届いた。
2012年12月18日7時18分。米長は前立腺ガンのために69歳で死去した。
米長の遺体が自宅に戻ると、明子夫人はタイトル戦で着用した和服を身に着けさせた。棺桶に収まった姿は、生前のように威風堂々としていたという。なお第2回の米長の病状に関する記事は、田丸が2021年に米長の評伝『名人を獲る 評伝 米長邦雄』(国書刊行会)を刊行するにあたり実施した、明子夫人へのインタビューを基に構成した。
中原、谷川だけでなく小泉進次郎らも追悼
米長の葬儀は12月23日、24日に東京・目黒区の円融寺で執り行われた。喪主は明子夫人、葬儀委員長は将棋連盟専務理事の谷川九段が務めた。生前に交流があった将棋関係者、各界の人たち、将棋ファンらが参列し、早すぎる死を悼んだ。通夜と告別日の両日で、参列者は1700人を数えた。
米長の名ライバルだった中原誠十六世名人は「同世代の棋士が亡くなるのはとても寂しい。思い出はいろいろあって、今はお話しできません」と語った。葬儀委員長の谷川九段は「米長先生は、大胆かつ柔軟な発想で将棋界を牽引されました。将棋を義務教育にすることは先生の悲願で、その遺志を引き継いでいきます」と挨拶した。さらに衆議院議員の小泉進次郎は「数年前に食事をしたことがあります。気さくな方で、いつも頑張れと言ってくれました」と語っている。
遺族代表として長男の知得は「父は生前に皆さまから愛され、幸せな人生だったと思います。最期のお別れも、これだけ多くの方にお集まりいただき、最高に満足していると思います。皆さまに対して、ひたすら感謝を申し上げます」と挨拶した。
米長は都内の見晴らしの良い寺で永眠している。今後も将棋界を見守ってくれることだろう。
<第1回から続く>