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「AI将棋に初めて負けた名棋士」米長邦雄69歳“弱音と本音の最期”死の4カ月前、抗ガン剤での剃髪姿となり「仏の道に近づいて…」 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKyodo News

posted2023/12/18 11:01

「AI将棋に初めて負けた名棋士」米長邦雄69歳“弱音と本音の最期”死の4カ月前、抗ガン剤での剃髪姿となり「仏の道に近づいて…」<Number Web> photograph by Kyodo News

2012年、「ボンクラーズ」との対局後の米長邦雄会長

 米長は抗ガン剤を服用していたので食欲はあまりなかったが、すき焼き、ウナギ、天然の刺し身など、良質なたんぱく質を摂るように努めた。やがて、一時は激減した体重は元の60キロ台半ばに戻った。自宅での楽しみ方は、昔の歌謡曲と落語をCDで聴くこと。好きな曲は『長崎の鐘』『上海帰りのリル』、好きな落語家は三遊亭圓生だった。

 用事があってたまに外出することもあり、8月に知人で脚本家の内館牧子と会っている。1993年のNHK紅白歌合戦で、審査員をともに務めた縁で親しくなっていた。内館がパナマ帽をかぶった米長に「帽子姿を初めて見ました。すごく素敵ですよ」と言うと、米長は帽子を取ってつるつるの剃髪姿を見せた。「坊主頭を一度やってみたかったけど、日光が当たって暑いんだ」と笑いながら語った。

人生はなるようにしかならないのだと達観しております

 抗ガン剤治療によって髪が抜け落ちていた。その姿について「仏への道に近づいている」と知人に語った。米長は10月上旬に都内で開かれた羽生棋聖の就位式に連盟会長として出席し、羽生に就位状を授与した。これが公の場での最後の姿となった。

 米長は12月2日に自身のホームページ『米長邦雄の家』で、死期が迫っている心境について、次のように告白した。

「人生は必ずいつか終わるもの。どのような形で投了するか、あるいは投了させられるのか。最近はそんなことを考えるのが多いのも事実です。私はガンを患っていますが、これもことの成りゆきで、人生はなるようにしかならないのだと達観しております。人生すべて感謝である」

 そして、葬儀の手配や相続についても書き込んだ。

 米長は将棋連盟の関係者に「来年の6月に開かれる通常総会までは生きていたい」と伝えた。また、大晦日のNHK紅白歌合戦に初出場する、知人で歌手の美輪明宏が歌う名曲『ヨイトマケの唄』を聴くのをとても楽しみにしていた。

弟子の中村太地に「将棋界を良くしたい。そのためには…」

 2012年12月11日。米長は体調が悪化し、東京女子医科大学病院に緊急入院した。明子夫人と長女の喜美子は、病室で交替で看護した。医師には「年内は持ちそうにありません」と余命を告げられた。弟子の先崎学八段、伊藤能六段、中村六段らは、日時を変えてお見舞いに行った。3人の兄たち(泰、修、優)も病室に集まった。

 しかし、米長は意外にも元気だったという。

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