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甲子園の風BACK NUMBER
甲子園出場“3回だけ”の新興校から今年は「ドラフト指名3人」のナゼ《5年連続プロ輩出》京都国際高のナゾを追う「最初は部員を揃えるために…」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph byFumi Sawai
posted2023/11/18 17:00
15年前から京都国際高校の野球部を率いる小牧憲継監督。同校からは近年、5年連続でプロ選手が輩出されている
「あの頃はとにかく試合ができる人数を揃えるのに必死でした。来ても、野球できる子とキャッチボールができる子ってすごく限られるんですよ。
入部しても、打ってサード方向に走るヤツもいたくらいなんです(苦笑)。いずれ甲子園には行きたいとは思いましたが、このグラウンドでこの戦力でと思うと、とても行けるとは思えませんでした」
京都国際は校内のグラウンドが練習場だが、その広さは右翼が約60m、左翼は約70mで、ただでさえ狭い上に、球場特有の扇状ではなく台形に近い少しいびつな形をしている。
「大会で勝つことは厳しい。それなら…」
外野との連係プレーの練習はなかなかできず、公式戦では内外野の間に落ちるポテンヒットが決勝点となり敗れる試合も少なくなかった。
「強豪校のサブグラウンドの広さすらないですよ」
そう小牧監督は苦笑する。
「だから、大会で勝つことは厳しいと。めぼしい選手を徹底的に鍛えて上手くして、プロまでは行かなくても大学や社会人チームに1人でも送り出していけるようにやってきました。そうすれば入ってくる子の数や質が上がってきてくれるのではないかと思って――」
小牧監督は関大在学中に当時の京都韓国学園OBのチームメイトから声を掛けられ、野球部の練習を手伝ったことが指導者人生の始まりだった。大学卒業後、銀行員の傍ら外部コーチとして指導を続け、07年に教員となって正式にコーチに就任した。
だが、前監督が急きょ退任することとなり、08年より監督として指揮を執ることになった。
「当初は前監督が声を掛けていた選手が卒業したら監督は辞めるつもりでした。いつ辞めようか、いつ辞めようかと思ってやってきましたが、だんだん辞められなくなって(苦笑)」
そんな中、出会ったのが同校2人目のプロ野球選手となる曽根海成(現・広島)だった。