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「計量前に天下一品のラーメンを…」元世界王者・石田順裕はなぜ“過酷な増量”でヘビー級に挑戦したのか?「グラップラー刃牙の影響で(笑)」
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byNumber Web
posted2023/11/12 17:03
中量級で世界のトップボクサーと渡り合った石田順裕が、キャリア晩年の「ヘビー級転向」の真意を明かした
石田はそう振り返るが、藤本はK-1でピーター・アーツらに勝利し、ボクサーとしても東洋太平洋のタイトルを4度防衛した「ナチュラルなヘビー級ファイター」である。ミドル級前後を適正体重とするボクサーが、そんな相手と互角に渡り合ったのだから、世界レベルのスキルは十分に証明したと言えるのではないだろうか。
「嫌なことを続けて、好きになって、天職になった」
こうして39歳までリングに上がった石田は、「やり切った」という思いでグローブを壁に吊した。現在、寝屋川石田ボクシングクラブで後進の指導にあたる石田に「若い選手に伝えたいことは?」と問うと、すぐにこんな答えが返ってきた。
「あきらめないでコツコツやること。僕もいろいろ嫌なことがあったけど、毎日ジムに行くと決めて、それは実行しました。本当に嫌なときは行くだけ行って、話だけして練習せずに帰ることもありました。合格ラインは低いんだけど、決めたことを続けるって大事だと思います。嫌になって辞めたら、そこで終わりですから」
さらにこう続けた。
「僕は世界チャンピオンになれるなんて思ってなかったし、アメリカでやれるとも思っていなかった。ボクシングを好きで始めたわけでもない。父親に無理矢理やらされて、最初は嫌で嫌で仕方がなかった。でも、続けたら好きになって、それが天職になることもあるんですよ。普通はみんな好きなことから天職を求めると思うんですけど、嫌なことでも続けていたら、何かが起きる可能性があるんです」
ジムの会長になって選手を育てる立場になっても、石田のポリシーは変わらない。選手の育成においては、キャリア序盤の負けを恐れず、積極的に格上選手との試合を組み、東京のリングにも躊躇なく出向く。海外での活躍を夢見るなら、同じ国内の東京ごときで「アウェイ」を感じているようでは甘いのだ。石田はそう考え、トライ&エラーを重ねてきた。